◎雲よりもたかきところに出て見よ
夢窓国師の、美濃の守護土岐頼貞との和歌贈答の中から。
雲よりもたかきところに出て見よ
しばしも月にへだてあるやと
世の憂さを慰むといふ言の葉に
身を忘れざる程ぞしらるる
身をかくす庵をよそにたづねつる
心のおくに山はありけり
絶対無を月でシンボライズするのはお馴染みで、十牛図でもそう。禅ではないが、和気清麻呂、龍樹などにも月は重要な意味を持つものとして登場。月は未悟者にとって日常感覚ではない日常を指すのにもかかわらず、日々是好日、平常心是道などと逆説的に述べるのが覚者の作法。
『世の憂さを慰む』とは、癒しのことだが、癒しとか言っているうちはダメだと直截である。
心の奥の山といえば、牛かひ草の旅にも風景として山が出てくる。
夢窓国師の、美濃の守護土岐頼貞との和歌贈答の中から。
雲よりもたかきところに出て見よ
しばしも月にへだてあるやと
世の憂さを慰むといふ言の葉に
身を忘れざる程ぞしらるる
身をかくす庵をよそにたづねつる
心のおくに山はありけり
絶対無を月でシンボライズするのはお馴染みで、十牛図でもそう。禅ではないが、和気清麻呂、龍樹などにも月は重要な意味を持つものとして登場。月は未悟者にとって日常感覚ではない日常を指すのにもかかわらず、日々是好日、平常心是道などと逆説的に述べるのが覚者の作法。
『世の憂さを慰む』とは、癒しのことだが、癒しとか言っているうちはダメだと直截である。
心の奥の山といえば、牛かひ草の旅にも風景として山が出てくる。