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出口王仁三郎が生きながらえた理由とその効果

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◎玉矛(たまぼこ)の道ある世をぞ仰ぐらん 万(よろず)の民もひとつこころに

戦前のあの人権軽視のファシズム国家の下で、二度も教団まるっと弾圧され、出口王仁三郎自身も昭和10年の二回目の弾圧(第二次大本教事件)では、7年も不敬罪並びに治安維持法違反で収監され、なおかつ生きながらえたのは、不思議と言うしかない。

出口王仁三郎も拷問を受けたことが彼の和歌にも出てくる。SNSでは、出口王仁三郎の名は人気があるが、大本神諭も読まず、霊界物語も読まずでは、出口王仁三郎の意義はわかるまい。出口王仁三郎が認めたとは言えぬ日月神示は人気だが、それは本流ではあるまい。

同じ政治犯でも明治43年の大逆事件では、幸徳秋水は逮捕から半年で死刑であって、7年も収監されてなお生き延びた出口王仁三郎は異例中の異例と言えよう。

そこで囁かれるのが、出口王仁三郎のご落胤説。これは、彼が有栖川宮熾仁親王(孝明天皇の妹・和宮とご婚約されていた)のご落胤であるというもの。熾仁親王は時の皇族の第一人者として明治天皇から絶大な信任を受けていた。

熾仁親王にはご落胤がもう一方いて、いくという女性で、この息子が栄二であって、昭和20年4月出口王仁三郎の孫娘出口直美と結婚して出口栄二となった。

出口王仁三郎は、第二次世界大戦を獄舎で生き延び、みろくの世の橋渡しをした。

明治22年12月、いくの生母名古屋の田中たまは、いくが生まれてまもなく熾仁親王からルビーの指輪と産着をプレゼントされ、次の和歌が添えてあった。

玉矛(たまぼこ)の道ある世をぞ仰ぐらん 万(よろず)の民もひとつこころに

出口王仁三郎は、これはみろくの世のお祈りの歌じゃと評している。
(出典:誰も知らなかった日本史 -切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言) 皇室に隠された重大な真実- 出口 恒/著 ヒカルランドP95-96)

この身勝手犯罪が横行する時代、自分の目先の得にこだわらず、道ある世を展望し、万人がひとつこころに善いことをして悪いことをしない。

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