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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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人前で裸になる

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◎モーセ靴を脱ぐ

窮極を求める最初の段階は、しばしば先入観をなくしていくことに終始する。

それは、モーゼにあっては、靴を脱ぐということにあらわれ、
場合によっては、ジャイナ教のマハーヴィーラのように服を脱いで裸になるということに顕れる。

社会は、裸になることを恐れている。裸を見れば狼狽する。なんとなれば、肉体があらわになるということは心もあらわになってしまう端緒になるからだ。

ジャイナ教でググると性器も露出している人物の画像イメージに出くわすが、男性聖者は裸であり、マハーヴィーラに先行する聖者の女性マリブハイも裸で過ごしたという。人前で裸になるのは、精神性に理解のある古代インドでも大変抵抗のあることであり、いわんや現代においてをや。

求道というのは、意識が裸になることだが、肉体が裸を露出することがそのステップの嚆矢となることがある。

そこでモーセは、燃える柴たる神の前で、最初に靴を脱ぐことを促され、「今ここが聖なる地である」と示され、神の説明をひととおり聞いた後、神を見ることを恐れ、なんと顔を隠した。準備ができていなかったのである。(出エジプト記3.1-6)

チベット自治区のラサが世界の中心とか、エルサレムが世界の中心とか、京都府綾部市が世界の中心とか称するのは、列車や飛行機でツアーしましょうということではなく、今日ただ今、自分が立っている場所が世界の中心であるということ。それは、心が裸になるということである。

イエスは、弟子の靴を脱がせて足を洗ってやった。

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