◎天国と地獄の結婚、アンビバレント
1.生は死の一部。生と死は分離していない。
2.人間は全体のごく一部。
3生の側には二極あるものが多い。愛と憎しみ、男性と女性、美と醜、昼と夜、善と悪、闇と光、創造と破壊、天国と地獄、否定と肯定、好きなものと嫌いなもの、戦争と平和、物質と精神、悟りと迷い、高さと低さ等々。
これらの双極には、引き合う力と反発する力が存在する。恋人同士惹かれ合いながら反発することなどで皆それを知っている。
人間の表層意識は、一瞬間には、二つあるうちの片側に乗っているが、肉体は一生男か女を継続する。OSHOバグワンは、一生片方の性(男女いずれか)をやるのは飽きるので次の転生では別の性を選ぶというが、さもありなむ。
全体である神に至るには、二極からジャンプアウトせねばならない。キリスト教系では、父の側、男性の側、天国の側偏重なので、いわば一極しかない。それをバックボーンにして成長してきたのが現代社会。現代社会は、近代西欧文明だが、その基調は、光偏重、アポロン的ということで、東洋の両方備えた宗教と社会に比べるとバランスが悪い。
そこで、西欧でも天国と地獄の結婚ということが言われたり、アメリカにインドやチベットから多数の冥想家が入って行って宗派にこだわらない冥想を建てるということになった。
もっともアメリカは、OSHOバグワンには毒を飲ませて、国外退去させ世界中において彼を村八分にしたのは、近代西欧文明の未来の可能性を限定してしまったと思う。一方でケン・ウィルバーには寛容だった、アンビバレント(櫻坂46の曲にもあり)。
冥想には、豊かなルートと簡素なルート、あるいは乾いた道と湿った道がある。中東から西欧にかけてはロシアのウクライナ侵攻のためか、ますます乾いた道たるキリスト教や禅が好まれるのだろうか。
ノストラダムスは、終わりの前には世界に法がくまなく伝えられると言い、ダンテス・ダイジは、この時代、人類が存続するようなら禅が流行し、人類が滅亡するようならクンダリーニ・ヨーガが流行すると予言している。
1.生は死の一部。生と死は分離していない。
2.人間は全体のごく一部。
3生の側には二極あるものが多い。愛と憎しみ、男性と女性、美と醜、昼と夜、善と悪、闇と光、創造と破壊、天国と地獄、否定と肯定、好きなものと嫌いなもの、戦争と平和、物質と精神、悟りと迷い、高さと低さ等々。
これらの双極には、引き合う力と反発する力が存在する。恋人同士惹かれ合いながら反発することなどで皆それを知っている。
人間の表層意識は、一瞬間には、二つあるうちの片側に乗っているが、肉体は一生男か女を継続する。OSHOバグワンは、一生片方の性(男女いずれか)をやるのは飽きるので次の転生では別の性を選ぶというが、さもありなむ。
全体である神に至るには、二極からジャンプアウトせねばならない。キリスト教系では、父の側、男性の側、天国の側偏重なので、いわば一極しかない。それをバックボーンにして成長してきたのが現代社会。現代社会は、近代西欧文明だが、その基調は、光偏重、アポロン的ということで、東洋の両方備えた宗教と社会に比べるとバランスが悪い。
そこで、西欧でも天国と地獄の結婚ということが言われたり、アメリカにインドやチベットから多数の冥想家が入って行って宗派にこだわらない冥想を建てるということになった。
もっともアメリカは、OSHOバグワンには毒を飲ませて、国外退去させ世界中において彼を村八分にしたのは、近代西欧文明の未来の可能性を限定してしまったと思う。一方でケン・ウィルバーには寛容だった、アンビバレント(櫻坂46の曲にもあり)。
冥想には、豊かなルートと簡素なルート、あるいは乾いた道と湿った道がある。中東から西欧にかけてはロシアのウクライナ侵攻のためか、ますます乾いた道たるキリスト教や禅が好まれるのだろうか。
ノストラダムスは、終わりの前には世界に法がくまなく伝えられると言い、ダンテス・ダイジは、この時代、人類が存続するようなら禅が流行し、人類が滅亡するようならクンダリーニ・ヨーガが流行すると予言している。