◎一毫は問わず、如何なるか是れ衆穴
孤雲懐奘は、道元より2歳年上だったが、53歳で没した道元に比し長命で82歳まで生き永平寺を盛り立てた。
1129年11月頃、懐奘は、道元に最初に会って3日ほどは、道元の見解が自分のそれと一致していることに喜んでいたが、さらに何日かすると自分の見方とは異なることに気づき、更に精進することにした。
ある日、道元に「一毫衆穴を穿つ」の公案を与えられ、懐弉が「一毫は問わず、如何なるか是れ衆穴」(一毫である真理ニルヴァーナは、衆穴である森羅万象に展開している。ニルヴァーナを離れて森羅万象なく、森羅万象を離れてニルヴァーナなし。)と答えて早くに印可された。
懐弉は、印可後も道元の侍者を長年継続し、師として敬慕し続けた。道元に参ずる以前は、浄土門も深く追求し、大和国多武峯(とうのみね)に日本達磨宗の覚晏に参禅、印可を受けたが納得せず、道元に参じた。
だが覚晏の門にあっては、興福寺衆徒の襲撃を受け、道元の門にあっては、比叡山に弾圧され、と厳しい環境にありながら、只管打坐を伝燈してきた功績は大きい。正法眼蔵随聞記だけを読んで、いかにも頼りない奴だと見るわけには参りますまい。
孤雲懐奘は、道元より2歳年上だったが、53歳で没した道元に比し長命で82歳まで生き永平寺を盛り立てた。
1129年11月頃、懐奘は、道元に最初に会って3日ほどは、道元の見解が自分のそれと一致していることに喜んでいたが、さらに何日かすると自分の見方とは異なることに気づき、更に精進することにした。
ある日、道元に「一毫衆穴を穿つ」の公案を与えられ、懐弉が「一毫は問わず、如何なるか是れ衆穴」(一毫である真理ニルヴァーナは、衆穴である森羅万象に展開している。ニルヴァーナを離れて森羅万象なく、森羅万象を離れてニルヴァーナなし。)と答えて早くに印可された。
懐弉は、印可後も道元の侍者を長年継続し、師として敬慕し続けた。道元に参ずる以前は、浄土門も深く追求し、大和国多武峯(とうのみね)に日本達磨宗の覚晏に参禅、印可を受けたが納得せず、道元に参じた。
だが覚晏の門にあっては、興福寺衆徒の襲撃を受け、道元の門にあっては、比叡山に弾圧され、と厳しい環境にありながら、只管打坐を伝燈してきた功績は大きい。正法眼蔵随聞記だけを読んで、いかにも頼りない奴だと見るわけには参りますまい。