◎敬うとは慎む
主一無適は、『論語集注』(朱熹撰)の學而第五にある言葉。敬うとはどういうことかを述べている。
まず論語原文。
『大意:孔子がおっしゃられた。
「大国を治めるには、政治を慎んで行い、民の信頼を得なければならない。
財を節制して、人民を愛し、苦しめてはならない。
農民に賦役を課すときには、農繁期を避けなければならない」』
(読み下し:子曰く「千乗の国を道(おさ)めるには、事を敬(つつ)しんで而して信あり、用を節し而して人を愛し、民を使うに時をもってす」)
これへの朱熹のコメント。
『敬(つつ)しむとは主一無適ということ。「事を敬して信」とは、その事に慎んで当たることで民から信用を得ることである。』
つまり主一無適とは、心の中に民、人民のことばかり専一に考えて、他の事に心をやらないということ。それで敬となる。
ここは、為政者の民に対する心構えの例だが、冥想修行者の神仏への姿勢がまさにこれ。慎むとは、戒律を守っていく姿勢のことだが、敬神尊仏の気持ちが根底にあって初めて慎むということがわき上がって来るということはある。
文脈は、民から信用を得るというメリットのための手法だが、相当の心理家でないと、敬うとは慎むこととは言えない。
孔子は晩年に大悟したと思われる。
われもなく うつしよもなく ただひとり かみのみまえに ひれふし おろがむ
(出口王仁三郎)
主一無適は、『論語集注』(朱熹撰)の學而第五にある言葉。敬うとはどういうことかを述べている。
まず論語原文。
『大意:孔子がおっしゃられた。
「大国を治めるには、政治を慎んで行い、民の信頼を得なければならない。
財を節制して、人民を愛し、苦しめてはならない。
農民に賦役を課すときには、農繁期を避けなければならない」』
(読み下し:子曰く「千乗の国を道(おさ)めるには、事を敬(つつ)しんで而して信あり、用を節し而して人を愛し、民を使うに時をもってす」)
これへの朱熹のコメント。
『敬(つつ)しむとは主一無適ということ。「事を敬して信」とは、その事に慎んで当たることで民から信用を得ることである。』
つまり主一無適とは、心の中に民、人民のことばかり専一に考えて、他の事に心をやらないということ。それで敬となる。
ここは、為政者の民に対する心構えの例だが、冥想修行者の神仏への姿勢がまさにこれ。慎むとは、戒律を守っていく姿勢のことだが、敬神尊仏の気持ちが根底にあって初めて慎むということがわき上がって来るということはある。
文脈は、民から信用を得るというメリットのための手法だが、相当の心理家でないと、敬うとは慎むこととは言えない。
孔子は晩年に大悟したと思われる。
われもなく うつしよもなく ただひとり かみのみまえに ひれふし おろがむ
(出口王仁三郎)