◎死を嫌う人たち
荘子は、斉物論篇で、死を憎むとは、「弱喪にして帰るを知らざる者」のようなものだ、と言っている。弱喪とは、若(弱)年にして家郷を失った者のことで、若い時に郷里を出たが、長じて老いて帰る場所がわからなくなった人のことを、死を悪(にく)む者という。
この考え方は、死の一部分が生であるという立場から出るもの。その立場を実証実験するには、慧命教の粉砕図のように頭頂から出て死の世界たる法界(中心太陽)に突入し、なおかつ生還してみせねばならない。
また荘子は、徳充符篇で、「死生を以て一条と為す」としているのも、同じ立場。生と死は同じ土俵にあるというのは、これまでは、単なる変わった考え方の一つであった。
ところが、科学が発展しメタバースもでき、悪まみれで生きることに抵抗感が少ない人がここまで増えて来たからには、その反作用として、道教的境地の極みである、死生は一条の綱のようであるという体験が万人に求められる時代となった。
その体験なかりせば、人間本来の当たり前の生きる姿が、善いことをする、悪いことをしないであることに納得は得られまい。
だから日々冥想なのである。
※個人の前世を遡行すれば、死生死生死生と繰り返していき、一条の綱と見えるだろうし、古事記でも“筒男”とそれらしい表現を取っている。なぜ“筒女”でないかは考えてみる必要があるだろう。
荘子は、斉物論篇で、死を憎むとは、「弱喪にして帰るを知らざる者」のようなものだ、と言っている。弱喪とは、若(弱)年にして家郷を失った者のことで、若い時に郷里を出たが、長じて老いて帰る場所がわからなくなった人のことを、死を悪(にく)む者という。
この考え方は、死の一部分が生であるという立場から出るもの。その立場を実証実験するには、慧命教の粉砕図のように頭頂から出て死の世界たる法界(中心太陽)に突入し、なおかつ生還してみせねばならない。
また荘子は、徳充符篇で、「死生を以て一条と為す」としているのも、同じ立場。生と死は同じ土俵にあるというのは、これまでは、単なる変わった考え方の一つであった。
ところが、科学が発展しメタバースもでき、悪まみれで生きることに抵抗感が少ない人がここまで増えて来たからには、その反作用として、道教的境地の極みである、死生は一条の綱のようであるという体験が万人に求められる時代となった。
その体験なかりせば、人間本来の当たり前の生きる姿が、善いことをする、悪いことをしないであることに納得は得られまい。
だから日々冥想なのである。
※個人の前世を遡行すれば、死生死生死生と繰り返していき、一条の綱と見えるだろうし、古事記でも“筒男”とそれらしい表現を取っている。なぜ“筒女”でないかは考えてみる必要があるだろう。