◎中心疑う者は、その辞(じ)枝(わか)る
易経の全体の構想を論じた繋辞下伝に、悟っていないマスターは危ないという記述がある。
それは、『中心疑う者は、その辞(じ)枝(わか)る』という部分。つまり宇宙の中心、本質が本当にはわかっていない人物は、言っていることが枝分かれして辻褄が合わないということ。
(大意:信義に叛いたり叛乱を起そうとする者は、その言葉には、何かを恥じているようなところがある。道について自分でも納得していない者は、言っていることが枝分かれして辻褄が合わない。
悟っている人の言は少なく、悟っていない人は多言なものである。善人、善行をくさす人の言葉は空回りしがちであり、節操を失っている人の言葉は、鬱屈、卑屈なものである。)
(書き下し:
叛(そむ)かんとする者は、その辞慙(は)じ、中心疑う者は、その辞枝(わか)る。吉人の辞は寡(すくな)く、躁人の辞は多し。善を誣(し)うるの人は、その辞游(ゆう)し、その守を失う者は、その辞屈す。)
これは、冥想シーンでは、資格を持っている人が教えていることは正しいみたいに思われている昨今、そもそも見仏見神、神人合一に資格などあり得ないことを改めて銘記させる。
また自分が正しくなければ、正しくない師を選ぶということはある。
易経は64卦をきっかけとし、自分の深層を覗き込むテクニックだが、そんなメソッドも寿命がきた。各人が悟れる時代というのは、64卦や亀の甲羅(亀卜)やホロスコープ、タロットなどを媒介とせずに、居ながらにして、その身そのままで世界の現状を感得し未来を予知できるほどに知性も肉体も進化した時代ということ。
易経繋辞下伝には、「善は積み重さなければ名声を得るには足らず、逆に悪事も積み重さなければ身を滅ぼすには至らない。だから小人は、小さな善行をしてもしょうがないとしてやらないし、小さな悪行をしても差支えがないとしてどんどんやる。
その結果、世界全体の悪事は積もり積もって隠せないほどになり、罪過が大きくなり過ぎて解決できなくなっている。この様子を、首枷をつけられて耳を怪我して正しい声が聞こえなくなる、凶とする。」というパートもある。
こういうのは、日常茶飯にあまりにも目にすること。連休中は、道に犬の糞が増える小悪。2022年4月29日国連のグテーレス事務総長が滞在中のウクライナの首都キーウを、ロシア軍がミサイルで攻撃したという国連を無視する前代未聞の大悪。
このような、他者のこともさることながら、まずは自分が冥想を。
易経の全体の構想を論じた繋辞下伝に、悟っていないマスターは危ないという記述がある。
それは、『中心疑う者は、その辞(じ)枝(わか)る』という部分。つまり宇宙の中心、本質が本当にはわかっていない人物は、言っていることが枝分かれして辻褄が合わないということ。
(大意:信義に叛いたり叛乱を起そうとする者は、その言葉には、何かを恥じているようなところがある。道について自分でも納得していない者は、言っていることが枝分かれして辻褄が合わない。
悟っている人の言は少なく、悟っていない人は多言なものである。善人、善行をくさす人の言葉は空回りしがちであり、節操を失っている人の言葉は、鬱屈、卑屈なものである。)
(書き下し:
叛(そむ)かんとする者は、その辞慙(は)じ、中心疑う者は、その辞枝(わか)る。吉人の辞は寡(すくな)く、躁人の辞は多し。善を誣(し)うるの人は、その辞游(ゆう)し、その守を失う者は、その辞屈す。)
これは、冥想シーンでは、資格を持っている人が教えていることは正しいみたいに思われている昨今、そもそも見仏見神、神人合一に資格などあり得ないことを改めて銘記させる。
また自分が正しくなければ、正しくない師を選ぶということはある。
易経は64卦をきっかけとし、自分の深層を覗き込むテクニックだが、そんなメソッドも寿命がきた。各人が悟れる時代というのは、64卦や亀の甲羅(亀卜)やホロスコープ、タロットなどを媒介とせずに、居ながらにして、その身そのままで世界の現状を感得し未来を予知できるほどに知性も肉体も進化した時代ということ。
易経繋辞下伝には、「善は積み重さなければ名声を得るには足らず、逆に悪事も積み重さなければ身を滅ぼすには至らない。だから小人は、小さな善行をしてもしょうがないとしてやらないし、小さな悪行をしても差支えがないとしてどんどんやる。
その結果、世界全体の悪事は積もり積もって隠せないほどになり、罪過が大きくなり過ぎて解決できなくなっている。この様子を、首枷をつけられて耳を怪我して正しい声が聞こえなくなる、凶とする。」というパートもある。
こういうのは、日常茶飯にあまりにも目にすること。連休中は、道に犬の糞が増える小悪。2022年4月29日国連のグテーレス事務総長が滞在中のウクライナの首都キーウを、ロシア軍がミサイルで攻撃したという国連を無視する前代未聞の大悪。
このような、他者のこともさることながら、まずは自分が冥想を。