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七覚支と七チャクラ

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◎クンダリーニ・ヨーギの英雄としての釈迦

七覚支は、ダンマパダなど伝統的な仏教の解釈では、七チャクラではないと解釈されているが、OSHOバグワンは、ことさらに七チャクラのことだと断定する(不滅の言葉 ダンマパダⅡ/和尚/メルクマールP86-87)。

法句経ダンマパダの89から
『八九
覚りのよすが(※)に心を正しく収め、執着なく貪りをすてるのを喜び、煩悩を滅ぼし尽くして輝く人は、現世において全く束縛から解きほごされている。』
(ブッダの真理のことば感興のことば/岩波文庫P22から引用)

七覚支
広説仏教語大辞典では以下のとおり
『【七覺支】さとりを得るために役だつ七つの事がらの意。心の状態に応じて、存在を観察する上での注意・方法を七種にまとめたもの。七つの、さとりに役だつもの。さとりへ導く七つの項目。さとりの智慧を助ける七種の修行。
(1)択法覚支。教えの中から真実なるものを選びとり、偽りのものを捨てる。
(2)精進覚支。一心に努力する。
(3)喜覚支。真実の教えを実行する喜びに住する。
(4)軽安覚支。身心をかろやかに快適にする。
(5)捨覚支。対象へのとらわれを捨てる。
(6)定覚支。心を集中して乱さない。
(7)念覚支。おもいつづけること。』
というようになっている。

この伝統的な解釈は全体的には在家者の日常生活の心得とか、冥想初心者の取り組み姿勢などを説いているものであって、深遠な真理の片鱗というほどのものでもない。このようなものが、悟りに至るための基本原則と言えば、それはそうかもしれないが、腑に落ちる人は少ないのではないか。食い足りないのである。
よって、その解釈そのものを疑えば、OSHOバグワンが、七チャクラのことであると断じた背景を想像できるように思う。

これは、ユクテスワが、聖書ヨハネの黙示録の七つの金の燭台や右の手の七つの星が七チャクラのことであると指摘したようなものである。


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