◎変化と不変
第六身体の表象であるセフィロトには、二つの相がある。一つは変化や変容が起こる相であり、もう一つは永久不壊、不変の相である。この二つは相い矛盾する性質であり、そうだろうと察してはいたが、なかなかこの二つを並列する記述には出会えなかった。(参照:カバラー/チャ-ルス・ポンセ/創樹社P88)
OSHOバグワンの第六身体の説明でも、創造と破壊が起こるなどと変化の相は語るが、宇宙全体、世界全体の永遠不壊、イデアの不滅の相の側はあまり同時には語っていない。「創造と破壊そのすべてがあなただ」などという言い方である。これも神人合一の一つのアスペクト。
さてセフィロトには、十球バージョンと十一球バージョンがある。もっとも古いセフィロトの一つ1516年バイルス・リキウスの「光の門」のそれは、十球バージョン。いつの頃からはわからないが十球の最上方に無限(エンソフ)と示した球(上半分は白、下半分が黒)の載っている十一球バージョンが発生している。
第六身体と第七身体を同一平面上に示すということなのだろうが、類似のモチーフにグノーシスの八天球観と周敦頤の太極図(一番上の白丸が「太極/無極」で第七身体相当か)がある。
第六身体と第七身体を同一紙面上に表現してわかりやすいだろうという発想なのだろうが、古代インドのウパニシャッドの時代にその二者の関係性について沈黙を守った姿勢に比べて、真摯謙虚だったのかということにいささかの疑問を持つ。
語れば語るほどダメになるということではなく、体験とは言えない体験を経ていない人物が、いくら語っても意味はないという流れのことかもしれない。
あるいは、エソテリックな教えで、故意に誤った言説を置いて、その修行者の可能性を見極めるテストにするということもある。
◎冥想の効用のない部分、ある部分-9
◎冥想の効用のない部分-8
◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-7
第六身体の表象であるセフィロトには、二つの相がある。一つは変化や変容が起こる相であり、もう一つは永久不壊、不変の相である。この二つは相い矛盾する性質であり、そうだろうと察してはいたが、なかなかこの二つを並列する記述には出会えなかった。(参照:カバラー/チャ-ルス・ポンセ/創樹社P88)
OSHOバグワンの第六身体の説明でも、創造と破壊が起こるなどと変化の相は語るが、宇宙全体、世界全体の永遠不壊、イデアの不滅の相の側はあまり同時には語っていない。「創造と破壊そのすべてがあなただ」などという言い方である。これも神人合一の一つのアスペクト。
さてセフィロトには、十球バージョンと十一球バージョンがある。もっとも古いセフィロトの一つ1516年バイルス・リキウスの「光の門」のそれは、十球バージョン。いつの頃からはわからないが十球の最上方に無限(エンソフ)と示した球(上半分は白、下半分が黒)の載っている十一球バージョンが発生している。
第六身体と第七身体を同一平面上に示すということなのだろうが、類似のモチーフにグノーシスの八天球観と周敦頤の太極図(一番上の白丸が「太極/無極」で第七身体相当か)がある。
第六身体と第七身体を同一紙面上に表現してわかりやすいだろうという発想なのだろうが、古代インドのウパニシャッドの時代にその二者の関係性について沈黙を守った姿勢に比べて、真摯謙虚だったのかということにいささかの疑問を持つ。
語れば語るほどダメになるということではなく、体験とは言えない体験を経ていない人物が、いくら語っても意味はないという流れのことかもしれない。
あるいは、エソテリックな教えで、故意に誤った言説を置いて、その修行者の可能性を見極めるテストにするということもある。
◎冥想の効用のない部分、ある部分-9
◎冥想の効用のない部分-8
◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-7