Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

古代インドのアートマン、ブラフマン

$
0
0
◎不死であり無畏であるブラフマン

アートマンとブラフマンの関係について、チャンドーグヤ・ウパニシャッドでは、次のように書かれている。(ブラフマンは中心太陽)

『「この肉身から外に出て、最高の光明に合一したのち、自己の姿で出現する、かの完全な心の平静、それがアートマンである。」と彼は言った。
「これは不死であり無畏である。それはブラフマンである。」と。』
(世界古典文学全集/ヴェーダ・アヴェスター/筑摩書房のチャンドーグヤ・ウパニシャッドP225から引用)

つまり二者の関係について明確には書かれていないのだ。

さて、創造主プラジャー・パティが「アートマンを見出して認識する者は一切の世界を得て、すべての欲望を満足させる」と唱えたのを聞いて、神々代表としてインドラが、悪魔代表としてヴィローチャナが、アートマンを認識するべく、創造主プラジャー・パティの下で32年間修行した。

創造主プラジャー・パティは、眼の中に見られる自己(プルシャ)がアートマンであるという説明を行い、悪魔代表のヴィローチャナと神々代表のインドラに、水盤に映る自分の姿を確認させ、「それがアートマンである。それは不死であり、無畏である。それはブラフマンである。」と説明した。 すると両名とも心から満足して立ち去った。

これを見てプラジャー・パティは、「彼らはアートマンを理解せず、見出すこともできずに立ち去った。神々にせよ、悪魔どもにせよこのようなことを秘義として信じる者は必ず滅びよう。」と評した。

ヴィローチャナは、(アートマンを自分の肉体のことだと思い、)「この世においては、アートマンをこそ悦ばすべきであり、アートマンに我々は奉仕すべきである。この世においてはアートマンを悦ばし、アートマンに奉仕してこそ、この世界とあの世界の両者を得るのだ」と語った。これは悪魔どもの秘義である。

さてインドラは帰り道で、不具になったり、肉体がなくなったら、その理屈が通用しないことに気づき、またプラジャー・パティの許に立ち戻って更に32年修行を続けた。

プラジャー・パティは次のような説明を与えた。
「夢の中で祝福された者のように歩き回る者、それがアートマンである。それは不死であり、無畏である。それはブラフマンである。」

インドラは、一旦はこれに納得したが、夢の中の肉体でも不快を感ずることがあるため、納得できないで、プラジャー・パティのもとでさらに32年間修行を続けた。

プラジャー・パティは次のような説明を与えた。
「人が眠り込んで自己に没入し、完全な心の平静を得て、夢を見ない場合、それがアートマンである。それは不死であり、無畏である。それはブラフマンである。」

インドラは、一旦はこれに納得したが、眠っている人は自分を認識しないので、まして一切の存在を認識することはないとして、納得せずにまた師のもとに戻って行った。
(上掲書P227-229を要約)

これだけでは、アートマンとブラフマンの関係性は不明であり、アートマンとブラフマンは違いがあるのかという疑問さえも起こってくる。

(続く)

◎冥想の効用のない部分、ある部分-10
◎冥想の効用のない部分-9
◎第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナの関係性-8

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>