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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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神の呼びかけをきく

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◎聖音オームと谷神

クンダリーニ・ヨーギ本山博が、見神・見性・見仏体験者と仏人合一体験者との違いを説明している。その中で、聖音オームを聞く話と、我と仏の間の薄皮一枚の差について述べている。

『神の呼びかけをきく

その時は、仏教の本に、まだ菩薩の段階にあるのとすでに仏陀になった状態との違いは、菩薩の段階では、向こうの仏陀の状態がみえるけれども、そこと自分との間に薄い透明な紗のようなベールがあって、向こうが見えるのにそこまで届かないような感じ、というような叙述がありますが、ちょうどそれと同じように、カラーナの次元では、真我が目覚めてくるのだけれども、真 我そのものになっていない。つまりカラーナの次元をこえないと、カルマはこえられないのですが、そのカラーナは十分に動いてきて、透明な光が輝くようになった。すると、真我、つまり神様が自分に呼びかける、それが、ちょうど遠い谷間からこだまを聞くように聞こえるんですね。声は非常にはっきりしているが、離れている感じがする。

同じようなことを老子が「谷神の声」というふうに書いているが、老子も似たような経験をしたんだろうと思うのです。』
(チャクラの覚醒と解脱/本山 博/宗教心理出版P220-221から引用)

※カラーナ:コーザル体、メンタル体相当
個別の霊体がある。
五感と似た感覚はない。
このレベルの霊能者は少ない。
ものを支配することができる。(ただし神様にお願いしてやっていただくというような姿勢。)

※真我=仏。

菩薩とは、見仏見性体験は経ているが、仏人合一には至っていない人。十牛図で言えば、第三見牛から第七忘牛存人までのレベルの人。菩薩のレベルというのは、悟った後のことであるから、われら凡俗にはあまり縁がないように見えるが、殊更に五十二段階を立て膨大な経典(華厳経など)にしているほど重視している覚者がいる一方で、さっさと次の仏人合一に進むべきと見ている覚者もいる。

『紗のようなベール』とは、例の薄皮一枚。

『神様が自分に呼びかける、それが、ちょうど遠い谷間からこだまを聞くように聞こえる』とは、聖音オームのことなのだろう。

老子では、『谷神(無の別名)は死することがない。この玄妙不可思議な母性(玄牝)の万物を生み出す所は、天地の根という。その根によってすべてのものを生み続けているが、それでいて終わる時がなく、且つ疲れる時がない。』とあるが、谷神については特段の説明はないが、そのようなものなのだろうと思う。

オームの説明も概してそのような聞こえ方である。

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