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仏足頂礼と足の裏

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◎足の裏から頭頂へ、頭頂から足の裏へ

きくち体操では、「100歳でも歩ける」をキャッチフレーズにして、足の指を殊更に重視。足の裏を見る、足の裏を触る、足の裏を意識するということを盛んに言う。足の裏から脚、腿、腰、背、頭まで神経が延びているから、歩く機能保持にはまず足の裏を刺激し、観想法もやるという方針である。

足の裏は、特に夏場はむれむれで、あまり話題にもしたくはないが、実は重要なポイントでもある。

まず釈迦の仏足頂礼。これは釈尊のおみ足を自分の頂にあてて礼拝すること。

出口王仁三郎は、身体では、足の指先から最強の霊気が放射するという。
『釈迦が成道して山を出で、父浄飯王に会見した時、王は仏足を頂いて礼拝したと記されて居るが、それは実際に親への孝行であって、永年の修行によつて得た霊徳を父に贈与する最もよい方法であったのである。元来霊気は四肢の指先において最も多く放射するものである。特に足の指先が一番多く霊を放射するのであるから、釈迦が足を父の額につけて、先づ一番に父に霊徳を頒たんとしたのである。満足したと云ひ、足らふと云ひ、円満具足と云ひ、皆足の字がつくのはこの理由から来るのである。』
(玉鏡 仏足頂礼/出口王仁三郎から引用)

『○仏足頂礼

(昭和五年九月二十三日秋分の日、壱岐から出発して対島灘を航行中)
「王仁もな、皆さんがあんまをしてくれるというてしてくれるので疲れが直るが、それは手の指先から霊気が放射するからである。また足の指先からも霊気が放射するものじゃ。昔印度では釈尊の足から額に霊気を入れてもらったものじゃ。それを仏足頂礼というのじゃ』
(新月の光 上巻/木庭次守/八幡書店P183から引用)

霊界物語で世の大峠に登場する神界の橋が黄金橋。これは反り橋で、非常に勾配が急で、つるつるで渡るに難しく、また黄金に身魂が映ってその本性を表すので、悪魔悪人はこの橋を渡れない。
この橋を渡るには、『この大橋を足の裏がくすぐつたいやうな、眩しいやうな心持でだんだんと彼岸へ渡つた。少し油断をすると上りには滑り、下りになれば仰向けに転倒するやうなことが幾度もある。要するにこの黄金の大橋は、十二の太鼓橋が繋がつてゐるやうなもので、欄干が無いから、橋を渡るには一切の荷物を捨てて跣足となり、足の裏を平たく喰付けて歩かねばならぬ。』
(霊界物語第1巻23章 黄金の大橋/出口王仁三郎から引用)

なんとエルサレムなる神界の聖地(いまここ)に至るには足の裏をしっかりつけねばならないのだ。

そこで、イエスは弟子の足を洗った

さらに、
『癲癇(てんかん)を病んで引つくり返つて居る人間があつたらその足の裏に、艮の金神と墨で書いてやると正気に返るものである。』(水鏡 癲癇/出口王仁三郎から引用)
また
『万年青の根を卸金にておろし、足の裏に張りつけておくと、早く熱が分離して平癒する。』(玉鏡 肺炎の妙薬/出口王仁三郎から引用)

以上二件は、代替療法・民間療法であって医師法上問題があるところがあるが、出口王仁三郎は、足の裏についてどういう見方をしていたかを知るヒントにはなる。

足る、満足、円満具足と、すべて人のパーフェクトは足で完成する。その点で足の裏の意義は大きい。

また神人合一から帰還後のエネルギーに満ちた光のシャワーは足の裏にまで至っている。(ニルヴァーナのプロセスとテクニック/ダンテス・ダイジP105) 

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