◎中国の妻妾同居制度
中国の連続TVドラマやらを見て最もわからないのは、中国人の家族観と家族制度である。
かつて支那の連ドラ『宮廷の諍い女 甄嬛(しん・けい)伝』を見ていて、悪の黒幕の皇后が悪事が露見して追い落とされるシーンが来た。その皇后が最も憂えたのは、宗族の墓に入れてもらえないことだと語ったのだが、私は理解できなかった。
またここ20年来の中国の不動産投機バブルにおいて、よく『家族の金を集めて不動産投資して大儲けした。』という話を耳にしたのだが、大金を預けられるほど家族を信頼できるものかと怪訝に思ったものだ。
そういえば、中国には、械闘といって宗族(名字が同じ親戚のグループ(例えば毛一族対江一族とか))が手に手に武器を持って他の敵対する宗族と実際に戦う伝統があった。
また最近ネットで、「GHQ焚書対象には中国関係が多い」という言葉に惹かれて、「裏から見た支那人」という戦前の本を読んでみたら、以下のようなことが書いてあった。
『支那を禍する家族制度
蓄妾と陰険-同種團結-食客三千人―質屋と骨董屋
諺に「氏より育ち」と云ふことがあるが、支那人の國民性を観察するには、その因つて來るところを窺って見ることが、特に必要であると思ふ。支那は、大家族制度の國である。
古來姓氏族裔の維持保存を、八釜しく云はれた關係もあらうが、同族の結合は鞏固であり、家内には、各々族長があつて、族長は一切資産を管理すると共に、一切の家族も、皆その権力下に擁護せられて居るのが多い。
換言すれば、私が家長だとすると、一切の財産家族は、私の管下に属する。その代り妻子兄弟は勿論、叔父、叔母、弟の妻、妾からその子に至るまで、生きとし生ける者は、皆その管轄扶養を受ける譯であるから、依賴心と、無自覺とが、この間に培はれるのも自然である。
また一方支那人の習慣として、血族の断絶を嫌う關係から、妾を蓄へる習慣があるが、金持になると、三人も、五人も、七人もの妾を蓄へ、それが皆同じ一家の中に、正妻などと同棲し、その妾には、夫れぞれの召使、子供、乃至は食客までも居るのであるから、一家族は、一寸したところでも三十人、五十人になる。
これ等の妻や、妾が、御互に鎬を削り、裏 面の暗闘に、日もこれ足りない有様になるのは、當然の次第であらう。支那人が陰険、残忍であるとか、且つ陰謀性に富み、毒殺とか、詐謀姦悪等各種不道德の多いのも、起りはこの邊か らである。
一夫多妻で、一家の中に多くの妻妾同居し、これ等の妾が、それぞれ多くの子供を生む。子供同志は、何の關係もないので、盛んに相排斥する。妻妾は、党中党を建て、召使まで党同伐異、裏面の暗闘をやる。これ等の反面には、またお互に子供同志夫婦になるのもあるし、妾の子供と、他の妾とが姦通したり、家族の某と、妾とが通ずるとか云ふやうな、陰險奸悪絶え間なしである。
大きな一家になると、このやうな人間が、百人も、五十人も、同居するものがあるが、斯うなると自然相互ひに葛藤を生じ、相排斥の結果は、陰険極まる性格となり、中傷離間讒訴を事とし、終には人を殺すのやら、殺人をせざるまでも、毒薬を盛ると云ふやうな手段を取るに至るので、これが今日の支那人の性格の半面を作り上げて終つたとも云へる。斯くして残忍にして陰険な性格は、この家族制度から發生した最大の産物であり、この複雑な家庭的環境から培かはれた、根柢深きものである。』
(裏から見た支那人/笠井孝P29-31から引用)(続く)
中国ドラマで、毎度飽きもせず、宮廷内の女性・男性王族、外戚間の陰謀ドラマが次々に公開されるのは不思議だったが、宮廷内の権謀術策、拉致、左遷、毒殺まで、身近な家庭内で起こっている延長線だったからかと思いあたる。
あれだけ混み合う中国の地下鉄が案外マナーがよいのは、こうした背景(械闘を恐れる)なのだと中国ビジネスの長い知り合い同士が話していたのは、家族関係がわかっていないと了解できぬ理屈だった。
中国共産党のエリートの人は皆大富裕層であって、プロジェクト毎に〇家〇家〇家などが組んでやるなどと言う話があるが、その〇家とは日本人が想像するようなファミリーではないのだろう。何千年変わらぬ大官の大規模ファミリーなのだ。
よって中国で冥想修行するには、そうした大官のファミリーの庇護内にあらねば生きられないのだろうが、大官にとっては、宗教者を抱えるということは反共産党的であって不都合。よって、真剣な求道者は、支那ではほとんど困難なのだろうと思う。
禅の六祖慧能は、母子家庭だったが、その母を棄てて求道に志した。成道した後年もその点に後悔のやむことはなかったというが、さもありなむ。そこは中国人云々ではないところではある。
中国の連続TVドラマやらを見て最もわからないのは、中国人の家族観と家族制度である。
かつて支那の連ドラ『宮廷の諍い女 甄嬛(しん・けい)伝』を見ていて、悪の黒幕の皇后が悪事が露見して追い落とされるシーンが来た。その皇后が最も憂えたのは、宗族の墓に入れてもらえないことだと語ったのだが、私は理解できなかった。
またここ20年来の中国の不動産投機バブルにおいて、よく『家族の金を集めて不動産投資して大儲けした。』という話を耳にしたのだが、大金を預けられるほど家族を信頼できるものかと怪訝に思ったものだ。
そういえば、中国には、械闘といって宗族(名字が同じ親戚のグループ(例えば毛一族対江一族とか))が手に手に武器を持って他の敵対する宗族と実際に戦う伝統があった。
また最近ネットで、「GHQ焚書対象には中国関係が多い」という言葉に惹かれて、「裏から見た支那人」という戦前の本を読んでみたら、以下のようなことが書いてあった。
『支那を禍する家族制度
蓄妾と陰険-同種團結-食客三千人―質屋と骨董屋
諺に「氏より育ち」と云ふことがあるが、支那人の國民性を観察するには、その因つて來るところを窺って見ることが、特に必要であると思ふ。支那は、大家族制度の國である。
古來姓氏族裔の維持保存を、八釜しく云はれた關係もあらうが、同族の結合は鞏固であり、家内には、各々族長があつて、族長は一切資産を管理すると共に、一切の家族も、皆その権力下に擁護せられて居るのが多い。
換言すれば、私が家長だとすると、一切の財産家族は、私の管下に属する。その代り妻子兄弟は勿論、叔父、叔母、弟の妻、妾からその子に至るまで、生きとし生ける者は、皆その管轄扶養を受ける譯であるから、依賴心と、無自覺とが、この間に培はれるのも自然である。
また一方支那人の習慣として、血族の断絶を嫌う關係から、妾を蓄へる習慣があるが、金持になると、三人も、五人も、七人もの妾を蓄へ、それが皆同じ一家の中に、正妻などと同棲し、その妾には、夫れぞれの召使、子供、乃至は食客までも居るのであるから、一家族は、一寸したところでも三十人、五十人になる。
これ等の妻や、妾が、御互に鎬を削り、裏 面の暗闘に、日もこれ足りない有様になるのは、當然の次第であらう。支那人が陰険、残忍であるとか、且つ陰謀性に富み、毒殺とか、詐謀姦悪等各種不道德の多いのも、起りはこの邊か らである。
一夫多妻で、一家の中に多くの妻妾同居し、これ等の妾が、それぞれ多くの子供を生む。子供同志は、何の關係もないので、盛んに相排斥する。妻妾は、党中党を建て、召使まで党同伐異、裏面の暗闘をやる。これ等の反面には、またお互に子供同志夫婦になるのもあるし、妾の子供と、他の妾とが姦通したり、家族の某と、妾とが通ずるとか云ふやうな、陰險奸悪絶え間なしである。
大きな一家になると、このやうな人間が、百人も、五十人も、同居するものがあるが、斯うなると自然相互ひに葛藤を生じ、相排斥の結果は、陰険極まる性格となり、中傷離間讒訴を事とし、終には人を殺すのやら、殺人をせざるまでも、毒薬を盛ると云ふやうな手段を取るに至るので、これが今日の支那人の性格の半面を作り上げて終つたとも云へる。斯くして残忍にして陰険な性格は、この家族制度から發生した最大の産物であり、この複雑な家庭的環境から培かはれた、根柢深きものである。』
(裏から見た支那人/笠井孝P29-31から引用)(続く)
中国ドラマで、毎度飽きもせず、宮廷内の女性・男性王族、外戚間の陰謀ドラマが次々に公開されるのは不思議だったが、宮廷内の権謀術策、拉致、左遷、毒殺まで、身近な家庭内で起こっている延長線だったからかと思いあたる。
あれだけ混み合う中国の地下鉄が案外マナーがよいのは、こうした背景(械闘を恐れる)なのだと中国ビジネスの長い知り合い同士が話していたのは、家族関係がわかっていないと了解できぬ理屈だった。
中国共産党のエリートの人は皆大富裕層であって、プロジェクト毎に〇家〇家〇家などが組んでやるなどと言う話があるが、その〇家とは日本人が想像するようなファミリーではないのだろう。何千年変わらぬ大官の大規模ファミリーなのだ。
よって中国で冥想修行するには、そうした大官のファミリーの庇護内にあらねば生きられないのだろうが、大官にとっては、宗教者を抱えるということは反共産党的であって不都合。よって、真剣な求道者は、支那ではほとんど困難なのだろうと思う。
禅の六祖慧能は、母子家庭だったが、その母を棄てて求道に志した。成道した後年もその点に後悔のやむことはなかったというが、さもありなむ。そこは中国人云々ではないところではある。