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中間的なものがなぜダメなのか

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◎根本的な解決にはならない

霊がかり・神がかり系スピリチュアルは、それ自体では、否定されるべきではない。というのは、悟りは、マスター(グル・師匠)とメソッドとモチベーションによって起こるといえるが、その無数のメソッドの中に霊がかり・神がかり系スピリチュアルも入っているからである。

メソッドの外形には、様々なものがある。イメージ・トレーニング(観想法)気功、導引ハタ・ヨーガカーマ・ヨーガ(性愛冥想)ソーマ・ヨーガ占星術マントラ禅只管打坐クンダリーニ・ヨーガ丹田禅事上磨錬など。霊がかり・神がかり系スピリチュアルは、クンダリーニ・ヨーガの一部とも言え、こうした無数のメソッドの中間的段階と位置づけられる。

これらのメソッドの大方は、心の意識レベルを低下させる方法であったり、自分・自我(我欲)をどんどんなくして行こうとする方法だったり、あるいは聖なるものや高級神霊や大神を観想するという逆方向(意識を、あるもので一杯にしてしまう)の方法もある。

どの方法でも、いつかはたどりつける。あらゆる専心行によってそれにたどりつけるとはいえ、どの方法を採ったとしても、悟りに至るプログラムを最後までパーフェトにこなすのは難しいものだ。

近代西欧文明の特徴は、光の部分だけを強調するアポロン・タイプ。そして近代西欧文明の位置づけは、臍のマニピュラ・チャクラと胸のアナハタ・チャクラの中間である。つまり、この文明社会にきっちり適応すればするほど、臍と胸の中間にある胃袋に負担がかかる仕掛けになっている。

さて、霊がかり・神がかり系スピリチュアルに限らず、メソッドというものは、目標に到達する手段であるので、それ自体中間的なもの。

ここで特に中間的なものからの脱却の必要性を主張しなければならないのは、この文明そのものが、マニピュラアナハタという2つのチャクラの中間点からアナハタへと上昇する宿命を持っているためである。

霊がかり・神がかり系スピリチュアルは、主にマニピュラ・チャクラをベースとしたもの。アストラル・トリップでは、霊線は臍からつながる。霊がかり・神がかり系スピリチュアルは中間的だとはいえ、どちらかと言えばマニピュラ寄りと言える。

そして中間的なものとは、輪廻転生を自明のこととすることとも言える。すなわち輪廻転生があることを前提としてその中で向上を図るというような姿勢である限り、人間には救済はない。真に救済を求めるならば、輪廻転生から解脱していくしかないが、それが悟りである。

中間的なものがなぜダメなのか。それはせんじ詰めると、本当の救済、根本的な解決にはならないからである。その場しのぎにすぎないということである。

【チャクラと七つの身体−134】
◎アストラル体−3
1.霊がかりを排す-3
【ザ・ジャンプ・アウト188】

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