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霊体と霊衣−2

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◎神恩と世の大峠

『故に神徳ある人が鎮魂を拝受し、大神に謝罪し、天津祝詞の言霊を円満明朗に奏上したならば、たちまちその霊衣は厚さを増し、三角形は円形に立て直り、死亡を免れ得るのである。

斯くして救われた人は、神の大恩を忘れた時において、忽ち霊衣を神界より剥ぎ取られ、直ちに幽界に送られるのである。

自分はあまたの人に接してより、第一にこの霊衣の厚薄を調べてみるが、信仰の徳によって漸次にその厚みを加え、身体ますます強壮になった人もあり、また神に反対をして人に妨害をして天寿の霊衣を薄くし、中には円い形をやや山形に変化しつつある人も沢山実見した。

自分はそういう人に向かっていろいろと親切に信仰の道を説いた。されどそんな人に限って神の道を疑い、却って親切に思って忠告する心をひがまし、逆にとりて大反対をするのが多いのである。

これを思えばどうしても霊魂の因縁性来というものは如何ともすることができないとつくづく考えるのである。』
(出口王仁三郎全集第五巻/出口王仁三郎/あいぜん出版から引用)

ここでは、重病人といえども、正しい信仰を行なうことにより、信仰の徳というものが積み重なり、霊衣が厚く頭部が円くなる人もいる一方で、健康な人でも神や人の反対を繰り返すことで、霊衣薄く頭部が三角になる人がいるとする。

首尾よく霊衣の厚みが戻った人でも、神恩を忘れた非道な行いをした時は、霊衣を剥ぎ取られ、幽界送りとなるとあり、よくお寺のホラースポットで脱衣婆の像を見かけるが、それは実在していたかと思い当たる。

さて昨今テレビや新聞を見ても、まず「徳が高い」などという言葉に出会うことはない。徳が高いとは、神恩を感謝し、惟神(かんながら)に生きることである。

惟神(かんながら)に生きるためには、大神(仏、禅の無、ニルヴァーナ)に出会って、惟神がその生き方の中で不退転となることが急務となる。
(るしやな仏 阿弥陀如来も 伊都能売(いづのめ)も み名こそかわれ 一つ神なり
  [出口王仁三郎])


出口王仁三郎は、他人や神を誹謗している霊衣の薄い人や頭の三角な、ちょっとヤバめの人に、天津祝詞の奏上を手始めとして、懇切丁寧に多くの人に信仰を勧めたが、入信することは本人にとっては大きな決断だから、そうしたプレッシャーの中で、かえってそうしたアドバイスを逆に受け取って反発までする人が少なくないことを云う。

そこで霊魂の因縁性来はどうしようもないとは、正しい宗教、信仰の道や、生き方に出会ったとしても、その人の霊的成熟度によってそれに応ずるかどうかが決まるので、すべての人を勧誘に応じさせるのは不可能であると見切ったことであると思う。

このあたりの見方によって、世の人々全員を救えはしないので、世の大峠には何人生き残るという厳しい見方になっていくことが理解できる。

【チャクラと七つの身体−157】
◎アストラル体−26
2.アストラル体の性質−7死の世界への入り口-5 霊体と霊衣−2

【ザ・ジャンプ・アウト211】


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