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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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バクティな世界

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◎気軽に自分を犠牲にするということ

ここにみんなが自分のことを進んで犠牲にして、他人のために役に立ちたいと考えている社会があるとする。それはこのような社会であろう。

西に生活に困った身寄りのないお婆さんがいると聞けば、必要なお金をいくらでもお渡しするし、一緒に生活を共にするような人がいくらでもいる。

東に体の不自由なおじいさんがいると聞けば、入浴のお世話、家事のお手伝い、買物のお使い、家の掃除なんでもやりましょうという人が、門前に列を作って待っている。

果ては、重武装した悪人が峠にあって、人一人の命と引き換えでないと、峠道を通さないと言い張る時に、我も我もと進んでその命を差し出そうとする人が引きも切らない。
と、こんな感じ。

次にくる時代は、キリスト教では至福千年とか千年王国とか言われるが、その時代の雰囲気はこんな感じなのだと思う。またおそらくは、中国古代の聖天子の時代である鼓腹撃壌(政治が人を縛らなくても世が治まる)の時代とは、このような時代だったのではないか。

そのような感じが日常感覚になるためには、『ある気づき』がその時代の人々全体になければ、日常性の中に「いつでも自分を犠牲にする」「自分が傷つけられることを気にしない」ということはない。

ある気づき』は、冥想の練習がなければ、ある日突然やってくるものではあるまい。例えば日本沈没の日になって、突然皆が気づくというものでは絶対ないと思う。

今にあっては、世間的には、こんな感覚は、単に非常識とされるだけではなく、「悪徳商法」のターゲットに真っ先になりがちなのである。この惨状を指して、聖者たちが「現代は予定ルートより大きくずれた」などと評す。

【チャクラと七つの身体−245】
◎アストラル体−114
2.アストラル体の性質−95
10.バクティ・ヨーガ-6 バクティな世界
(ザ・ジャンプ・アウト299)

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