死を忌避する文明
8. 死を忌避する文明 一厘の仕組、岩戸開き ○死の恐怖との直面を避ける 釈迦は厭世から出でて後、永遠なるものが彼を捉えることを如来と呼んだ。闇からスタートして真の光明に進むのが、彼の手口だが、世界の宗教で、このように「闇」からスタートするものは多い。死を忌避する文明とは闇を認めまい、闇に出会うまいとしてなんとしてもがんばっちゃう方向性の文明のことであり、この文明がまさにそれである。...
View Article世界の転換へのモチベーション
◎死を忌避する文明と幸福の中に生きるということ 人間の死には二種あり、肉体の死と自我の死である。世界の転換という観点では、肉体の死が自我の死ではないことを知るのは、アストラル宇宙を知って死者の世界を知る時になるのだろうが、その転換であっても、人間にとっての真の幸福とはまだ遥かに遠い。...
View Article一厘の仕組
◎古事記の仲哀天皇の段 戦争の噂を聞くようになった。 一厘の仕組とは、世の立替の時に、99.99%滅亡のところから大逆転するメカニズムのこと。出口王仁三郎は、そのヒントは、古事記の仲哀天皇の帰神の段にあるという。 仲哀天皇の帰神の段。大后息長帯比賣命は神功皇后のこと。...
View Article新時代の開闢をなぜ岩戸開きとするか
◎肉体という岩屋から外へ ○魂の翼の喪失とは何か 日本神話では、新時代の開闢をなぜ岩戸開きとするのだろうか。 そこで、プロティノスのエネアス4から。...
View Article神主主義社会への展開
◎愛、大慈大悲、mercy 神主主義とは、イデオロギーや哲学や思想ではない。神主主義を生きることのできる人は最低でも神(ドン・ファン・マトゥスの言う無限、タオ、宇宙意識)に出会った人だけである。...
View Articleメキシカン仙人への道
◎死の隠れた選択肢 仙人が肉体を持っているかどうかというのは、議論のあるところ。 メキシコのヤキ・インディアンの呪術師にとって、死とは、自分のエネルギーを残らず動員して、その肉体全部を、分解されない意識を有するエネルギーに変換すること。 ドン・ファン・マトゥスは、カスタネダに言う。 『おまえはこう尋ねたくてうずうずしてるのだろう。わしが言っているのは、地獄や天国へ行く魂のことなのか、と。...
View Article木村政彦の体外離脱
◎木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか この本は、力道山と不世出の柔道家木村政彦の一戦のことばかり書いているわけではない。 まずプロレスには勝ち負けも含めた台本があること。 講道館が、なぜ戦後柔道を牛耳る存在になったか。→武徳会の衰退。 柔道には、なぜ打撃技がなく格闘技としては不完全なのか。 ブラジルの戦後の勝ち組負け組の真相。 今にも続く柔道とブラジルのグレイシー・ファミリーとの因縁。...
View Article原始仏教のステップ
○10ランク 釈迦在世に近い時代の仏教のことを原始仏教と呼ぶ。いわばオリジナル仏教と呼ぶべきものである。このステップは10ランクを設けており、意識の深化の階梯そのものとなっている。 1.涅槃 2.滅想定 3.非想非非想処定(有想無想定) 4.不用定(無所有処定) 5.識処定(識無辺処定) 6.空処定(空無辺処定) 7.第四禅 8.第三禅 9.第二禅 10.第一禅(初禅)...
View Articleケン・ウィルバーのサイキック
◎アストラル体から上位へ ケン・ウィルバーは第六チャクラ(アジナー・チャクラ)を使うと、意識は超個的、超言語的な領域に進入し始め、このプロセスはサハスラーラ・チャクラに進むにつれて加速すると述べる。そしてサハスラーラ・チャクラを超えた7つのより高次の意識段階に進むとともに超−心的なものになっていくという。彼はこのレベル全体を微細領域と定義し、その領域を上位と下位に分ける。...
View Article指導者のいないクンダリーニ・ヨーガの危険
◎本山博のケース これは肉体からアストラルへの流れ。 本山博が、『現代社会と瞑想ヨーガ/宗教心理出版』P234あたりで書いているのだが、25歳の時にヨーガ行を初めて3か月位したときに、尾てい骨がむずむず動くかんじがあり、それが3か月くらい続いたらクンダリーニが上がった。...
View Article浅い悟り 深い悟り
◎人生いろいろ 悟りもいろいろ ここでは、悟りを第六身体や第七身体とのコンタクトと見た場合に、残念ながらアストラルがらみでそれを騙る人間が非常に多いことを説明する。...
View Articleバクティ・ヨーガ
10.バクティ・ヨーガ アストラル体での往生あるいは成道で最も重要なルートと考えられるのは、マントラ禅である。マントラ禅とは、マントラ・ヨーガのことだが、現代人がマントラ・ヨーガを全身全霊で行ずる時、マントラ禅に変ずる。...
View Article信愛の7つのステージ
○信愛の7つのステージ ラーマクリシュナは、神に至る信愛(バクティ・ヨーガ)の七つのステージを説明している。これは、神をひたすらに恋い焦がれている信愛者の道筋であるが、これを見ると、イエス・キリストへのいちずな思いを結実させようとするキリスト者の発達段階も、これに似ているのではないかと思う。 1.修行者・霊的な人と交際すること。 2.神への信仰と尊敬の念が生じる。 3.堅信(ニシユタ)。...
View Article神の化身と信愛の道
神の化身と信愛の道 1.アヴァターラ 神の化身 ラーマクリシュナは、神が化身(アヴァターラ)として肉体をとっておられる間は、その御方を礼拝供養しなければならないと述べ、神の化身の存在を肯定する。 神の化身とは、インドでは、例えばクリシュナのことであり、その時代、時代に現れるという。...
View Article見神者の定義
◎ラーマクリシュナの見神者の特徴 ラーマクリシュナは、本当に神を見たかどうか見分けるしるしがあるという。 それは次のとおり、 1.いつもほがらかで、楽しそうだ。物おじや遠慮をしない。海のように表面は波立ったり音を立てたりするが、下の方は底知れぬ海だ。 2.屍鬼(食人鬼のことか)のように、浄不浄の区別なく、ものに接したり、食べたりする。...
View Article恐怖の聖母カーリー女神
◎バクティ・ヨーガで死を見る ラーマクリシュナの後継者であったヴィヴェーカーナンダも、欧米で求道心のない人々を相手に講演させられたことには辟易していたことがあったようだ。...
View Articleバクティな世界
◎気軽に自分を犠牲にするということ ここにみんなが自分のことを進んで犠牲にして、他人のために役に立ちたいと考えている社会があるとする。それはこのような社会であろう。 西に生活に困った身寄りのないお婆さんがいると聞けば、必要なお金をいくらでもお渡しするし、一緒に生活を共にするような人がいくらでもいる。...
View Article親鸞が玉をもらう
◎世界全体と個人 親鸞26歳の時、新春の年賀の儀式を終えて、京都の街から比叡山に戻る時のこと。 途中、赤山明神に立ち寄って静かに読経していると、垣根の陰から不思議な女性が現れた。 それは、まるで内裏に住んでいるような気品が漂う人であった。その女性は親鸞に近づいて、「貴僧はどちらにいらっしゃるのでしょうか。」と訊ねました。...
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