◎神を恋い求める
19世紀、ラーマクリシュナは、バクティ・ヨーガ(献身)が最も容易な道であると語った。神を熱烈に愛して、神に渇仰心をもって祈り、涙を流す。それでは、どうすれば、そうなれるのだろうか。
『憧れを持って、母(神)を呼びなさい。あの方を見ることができたら、世俗の快楽の甘美さ(糖蜜)は、乾いてしまう。自分の母であるという思いがあれば、直ちに実現します。あのお方は義理の母ではありません。実の母です。
母に憧れを持って、子供のようにおねだり(強要)しなさい。(中略)あのお方は、必ず姿をお見せになります。』
(ラーマクリシュナの福音/東方出版から引用)
これほど純粋に童心に帰って、神を請い求めるのであれば、神もその姿をお見せしようというものだ。19世紀のインドで、まだ農業が主要な産業であった、のんびりした土地では、このようなバクティの歓喜に恍惚となることを皆にお勧めしても、違和感はなかったと思う。
けれども、それに恋い焦がれるあまりに、しばしば恍惚に浸っているのでは、21世紀の秒刻みの生存競争を勝ち抜くことは勿論、日々の糧にも事欠くことにもなろうというものだ。
現代の都市に住み、農業人口がせいぜい1割の、商業、工業中心の社会では、情動をだんだん高めて行って、神の愛に酔い、『母よ私を狂気させて下さい』とまで盛り上がる状態になるのは、クラブ(ディスコ)などの特殊な空間以外ではむずかしいのではないだろうか。
日本で、こういう光景が、巷で繰り広げられれば、「奇矯な人々が集まってボーっとしている」などと通報されかねない。現代の日本社会にはなじまないのではないか。
それに加えて、ラーマクリシュナは大麻入りドリンク好きだった形跡がうかがえるので、こういうのはしらふでは難しいのかもしれないと思う。
ラーマクリシュナは確かに神人だったと思うが、19世紀インドの風土という背景は無視し得ないものがある。いまここにラーマクリシュナが出現したら、日本では即精神病院送りというのもありえない話ではなかろう。
【チャクラと七つの身体−249】
◎アストラル体−118
2.アストラル体の性質−99
10.バクティ・ヨーガ-10 バクティ・ヨーガの社会性
(ザ・ジャンプ・アウト303)
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19世紀、ラーマクリシュナは、バクティ・ヨーガ(献身)が最も容易な道であると語った。神を熱烈に愛して、神に渇仰心をもって祈り、涙を流す。それでは、どうすれば、そうなれるのだろうか。
『憧れを持って、母(神)を呼びなさい。あの方を見ることができたら、世俗の快楽の甘美さ(糖蜜)は、乾いてしまう。自分の母であるという思いがあれば、直ちに実現します。あのお方は義理の母ではありません。実の母です。
母に憧れを持って、子供のようにおねだり(強要)しなさい。(中略)あのお方は、必ず姿をお見せになります。』
(ラーマクリシュナの福音/東方出版から引用)
これほど純粋に童心に帰って、神を請い求めるのであれば、神もその姿をお見せしようというものだ。19世紀のインドで、まだ農業が主要な産業であった、のんびりした土地では、このようなバクティの歓喜に恍惚となることを皆にお勧めしても、違和感はなかったと思う。
けれども、それに恋い焦がれるあまりに、しばしば恍惚に浸っているのでは、21世紀の秒刻みの生存競争を勝ち抜くことは勿論、日々の糧にも事欠くことにもなろうというものだ。
現代の都市に住み、農業人口がせいぜい1割の、商業、工業中心の社会では、情動をだんだん高めて行って、神の愛に酔い、『母よ私を狂気させて下さい』とまで盛り上がる状態になるのは、クラブ(ディスコ)などの特殊な空間以外ではむずかしいのではないだろうか。
日本で、こういう光景が、巷で繰り広げられれば、「奇矯な人々が集まってボーっとしている」などと通報されかねない。現代の日本社会にはなじまないのではないか。
それに加えて、ラーマクリシュナは大麻入りドリンク好きだった形跡がうかがえるので、こういうのはしらふでは難しいのかもしれないと思う。
ラーマクリシュナは確かに神人だったと思うが、19世紀インドの風土という背景は無視し得ないものがある。いまここにラーマクリシュナが出現したら、日本では即精神病院送りというのもありえない話ではなかろう。
【チャクラと七つの身体−249】
◎アストラル体−118
2.アストラル体の性質−99
10.バクティ・ヨーガ-10 バクティ・ヨーガの社会性
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