◎叡智、財、名誉、交友
これは、釈迦の問答。
叡智、財、名誉、交友と並ぶと、世俗でないものは叡智だけである。
叡智を得るには、求道心を持ちながらたゆまず努力するに尽きる。
この世の価値に対してうんざりしきった釈迦が、世俗の成功のアドバイスを求められ、ていねいに応対しているのは、奇妙なのだが、人にはそれぞれ魂のレベルというものがあるのだから、ここは親切心で答えているとみるべきだろう。
ヤッカは夜叉と訳されるが、一人の在家の求道者と見てよいのではないか。
その世界観は、マンツーマン輪廻観である。
『〔ヤッカいわく〕
「どのようにして叡智を得るのであるか?
どのようにして財を得るのであるか?
どのようにして名誉を得るのであるか?
どのようにして友交を結ぶのであるか?
この世からかの世へと移って、死んだあとで悲しまないようにするには、どうしたらよいのであるか?
〔尊師いわく〕
尊敬さるべき真人たちを信仰する人が、安らぎに至るための教えを聞こうと願って、怠りなまけることのない聡明な人は明らかな智慧を得る。
身に適したふさわしいことを為し、重い荷に堪え、努力する人は、財を得る。
真実をまもることによって、良い評判を得、ものを与えるならば友交を結ぶ。
〔このようにするならば〕
この世からかの世へと移って、死んだあとでも悲しむことがない。
家を求めながらも信仰あり、
真実と自制と、堅実と、捨離と、この四つの徳を具えている人は、死んでからあとでも悲しむことがない。
この世からかの世に移って、死んだあとでも、このように悲しむことがない。
真実・自制・捨離・忍耐よりもさらにすぐれたものがこの世にあるかどうか、
ひろく世の〔道の人〕・バラモンたち、他の人々に尋ねよかし』
(ブッダ悪魔との対話/岩波文庫P244-245から引用)
真実があるのは、悟った人だけだから、自制・捨離・忍耐は、真人の人生を渡っていく術なのだと思う。
家を求めるというのは、帰る家がないことを感づいている人ならでの言及だと思う。
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これは、釈迦の問答。
叡智、財、名誉、交友と並ぶと、世俗でないものは叡智だけである。
叡智を得るには、求道心を持ちながらたゆまず努力するに尽きる。
この世の価値に対してうんざりしきった釈迦が、世俗の成功のアドバイスを求められ、ていねいに応対しているのは、奇妙なのだが、人にはそれぞれ魂のレベルというものがあるのだから、ここは親切心で答えているとみるべきだろう。
ヤッカは夜叉と訳されるが、一人の在家の求道者と見てよいのではないか。
その世界観は、マンツーマン輪廻観である。
『〔ヤッカいわく〕
「どのようにして叡智を得るのであるか?
どのようにして財を得るのであるか?
どのようにして名誉を得るのであるか?
どのようにして友交を結ぶのであるか?
この世からかの世へと移って、死んだあとで悲しまないようにするには、どうしたらよいのであるか?
〔尊師いわく〕
尊敬さるべき真人たちを信仰する人が、安らぎに至るための教えを聞こうと願って、怠りなまけることのない聡明な人は明らかな智慧を得る。
身に適したふさわしいことを為し、重い荷に堪え、努力する人は、財を得る。
真実をまもることによって、良い評判を得、ものを与えるならば友交を結ぶ。
〔このようにするならば〕
この世からかの世へと移って、死んだあとでも悲しむことがない。
家を求めながらも信仰あり、
真実と自制と、堅実と、捨離と、この四つの徳を具えている人は、死んでからあとでも悲しむことがない。
この世からかの世に移って、死んだあとでも、このように悲しむことがない。
真実・自制・捨離・忍耐よりもさらにすぐれたものがこの世にあるかどうか、
ひろく世の〔道の人〕・バラモンたち、他の人々に尋ねよかし』
(ブッダ悪魔との対話/岩波文庫P244-245から引用)
真実があるのは、悟った人だけだから、自制・捨離・忍耐は、真人の人生を渡っていく術なのだと思う。
家を求めるというのは、帰る家がないことを感づいている人ならでの言及だと思う。

