◎コーザル体
◎コーザル体というもの
コーザル体まで来れば、十分に一つの悟りである。なぜならば、男女の別を乗り越え、自他の区別を乗り越えたのだから。
男女の別を乗り越えるだけでも、かの明治の剣豪にして明治天皇の侍従の一人であった山岡鉄舟は、女郎屋通いに半生をかけねばならなかったように、たやすいことではない。
自他の区別を越えた人というのは、強盗に持ち物を奪われたり、他人に口汚くののしられたり、殴り飛ばされても、苦しんだり悩んだりしない人のことだが、なかなかいるものではない。
さて死には2種あり、自我の死と肉体の死である。ところがボディの死にはいくつかの種類があって、それは肉体の死、エーテル体の死、アストラル体の死、メンタル体の死、コーザル体の死とある。
コーザル体のところで、自我の死があると推論できるのだが、OSHOバグワンは、これについて、「自我」とは「私=エゴ」と「在る」に分解され、コーザル体では、「私=エゴ」だけが死ぬという精密な議論を展開している。よって「コーザル体にあっては、自我の死がある」というような言い回しはとても不用意な表現であったとわかった。けれども「コーザル体は、最後の個我である」という言い回しすらもきわどい表現であるほどに、精妙なポジションであるように思う。
ここでは、ダンテス・ダイジとOSHOバグワン、出口王仁三郎の説明を挙げ、コーザル体は神話の起源であるから、神話での断片も入れる。
1.ダンテス・ダイジのコーザル体
2.OSHOバグワンのコーザル体
3.出口王仁三郎のコーザル体 伊都能売(いづのめ)
4.神話などでのコーザル体断片
【チャクラと七つの身体−283】
◎コーザル体−1
◎コーザル体というもの
(ザ・ジャンプ・アウト337)
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◎コーザル体というもの
コーザル体まで来れば、十分に一つの悟りである。なぜならば、男女の別を乗り越え、自他の区別を乗り越えたのだから。
男女の別を乗り越えるだけでも、かの明治の剣豪にして明治天皇の侍従の一人であった山岡鉄舟は、女郎屋通いに半生をかけねばならなかったように、たやすいことではない。
自他の区別を越えた人というのは、強盗に持ち物を奪われたり、他人に口汚くののしられたり、殴り飛ばされても、苦しんだり悩んだりしない人のことだが、なかなかいるものではない。
さて死には2種あり、自我の死と肉体の死である。ところがボディの死にはいくつかの種類があって、それは肉体の死、エーテル体の死、アストラル体の死、メンタル体の死、コーザル体の死とある。
コーザル体のところで、自我の死があると推論できるのだが、OSHOバグワンは、これについて、「自我」とは「私=エゴ」と「在る」に分解され、コーザル体では、「私=エゴ」だけが死ぬという精密な議論を展開している。よって「コーザル体にあっては、自我の死がある」というような言い回しはとても不用意な表現であったとわかった。けれども「コーザル体は、最後の個我である」という言い回しすらもきわどい表現であるほどに、精妙なポジションであるように思う。
ここでは、ダンテス・ダイジとOSHOバグワン、出口王仁三郎の説明を挙げ、コーザル体は神話の起源であるから、神話での断片も入れる。
1.ダンテス・ダイジのコーザル体
2.OSHOバグワンのコーザル体
3.出口王仁三郎のコーザル体 伊都能売(いづのめ)
4.神話などでのコーザル体断片
【チャクラと七つの身体−283】
◎コーザル体−1
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