◎バクティと自己実現、感官の満足を求めぬ
これは、インドのバーガヴァタ・プラーナに出ている話。
クリシュナとは別の降臨者で最高者リシャバデーヴァという人物がいて、既に窮極の悟りを得ている。
『その後、主であるリシャバデーヴァは、世俗を離れた自己抑制を為す苦行者が行う、バクティと自己実現、感官の満足を求めぬという、それら隠棲者が取るべき生き方を、身をもって世に示す為に、家庭生活に留まりながらも、身体以外の全てを放棄されたのでした。そしてやがて祭火を自身の中に受け取ると、髪の毛をふり乱して、身には大気以外をまとわずに、隠棲生活を送らんが為に、狂人のようにブラフマーヴァルタの都から出ていかれたのです。
あたかも愚かで盲目、聾唖、狂人、悪鬼のようにふるまいながらも、主は感覚を全て無くした者のように、沈黙の行を守りながら、声をかけられても黙ったままでした。都や農村、村落、花の園、岡の麓の集落、軍の野営地、放牧地、牛飼いの宿営地、隊商、山や森、隠棲所など、それら主が行かれる全ての場所で、人々はまるで象を襲撃するミツバチのように、彼を罵り、脅し、あるいは叩いて、尿をかけたり、石やゴミを投げつけ、時には糞便まで投げ、顔の上に放屁までして、侮辱を加え続けました。
けれども実在と誤認される幻の如き肉体を、主は決して自分自身だとは、または自分のものとは思われなかった為に、これらのことを、全く意に介されませんでした。そして実在と非実在の両相を悟られた主は、自らの偉大なる栄光に確立されて、少しも心を乱すことなく、ただ一人この地上を放浪されたのでした。
(中略)
内なるアートマンに祝福を見い出した、解脱の授与者たる主リシャバデーヴァは、こうしてヨーガの実修に助けとなる様々な生き方をされて、御自身の内にて既に存在する、人生の目的の完遂という祝福を、再び最高度にまでわがものとされたのです。
なぜならリシャバデーヴァは、全生物のアートマンであり、かつ主でもあるヴァースデーヴァを自分自身と同一視することにより、アートマンと自分を隔てる微細身を消滅させることに成功したからでした。』
(バーガヴァタ・プラーナ中巻/美莉亜訳/ブイツーソリューションP29-30から引用)
この文章でひっかかるところは3か所。
ひとつは、「やがて祭火を自身の中に受け取る」というところ、ここでクンダリーニの火を用い何かをやった。クンダリーニ・ヨーガの実習に際しては、まず社会生活を放棄して、その後に修行に入ったのだが、これだけの表現でもわかる人はわかるのだろう。
もうひとつは、「主でもあるヴァースデーヴア自分自身と同一視すること」。そのような観想法を用いて至ったということでしょう。
いまひとつは、「アートマンと自分を隔てる微細身を消滅させる」のところ。微細身はコーザル体までなので、この表現だとアートマンと微細身が同レベルにあるかと誤解するが、そんな誤解もなんのその。コーザル体を越えてアートマンに入ったことを言うのだと思う。
バクティと自己実現、感官の満足を求めない、自分がどうなろうと気にしない、こうした生き方こそ現代人の求める生き方であって、それができれば、諸悪莫作(悪事をしない)、衆善奉行(善を行う)、自浄其意(自ずからその意識が清らかである)となる。
【チャクラと七つの身体-324】
◎アートマン-28
4.ヒンドゥー教 ◎最高者リシャバデーヴァ
(ザ・ジャンプ・アウト378)
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これは、インドのバーガヴァタ・プラーナに出ている話。
クリシュナとは別の降臨者で最高者リシャバデーヴァという人物がいて、既に窮極の悟りを得ている。
『その後、主であるリシャバデーヴァは、世俗を離れた自己抑制を為す苦行者が行う、バクティと自己実現、感官の満足を求めぬという、それら隠棲者が取るべき生き方を、身をもって世に示す為に、家庭生活に留まりながらも、身体以外の全てを放棄されたのでした。そしてやがて祭火を自身の中に受け取ると、髪の毛をふり乱して、身には大気以外をまとわずに、隠棲生活を送らんが為に、狂人のようにブラフマーヴァルタの都から出ていかれたのです。
あたかも愚かで盲目、聾唖、狂人、悪鬼のようにふるまいながらも、主は感覚を全て無くした者のように、沈黙の行を守りながら、声をかけられても黙ったままでした。都や農村、村落、花の園、岡の麓の集落、軍の野営地、放牧地、牛飼いの宿営地、隊商、山や森、隠棲所など、それら主が行かれる全ての場所で、人々はまるで象を襲撃するミツバチのように、彼を罵り、脅し、あるいは叩いて、尿をかけたり、石やゴミを投げつけ、時には糞便まで投げ、顔の上に放屁までして、侮辱を加え続けました。
けれども実在と誤認される幻の如き肉体を、主は決して自分自身だとは、または自分のものとは思われなかった為に、これらのことを、全く意に介されませんでした。そして実在と非実在の両相を悟られた主は、自らの偉大なる栄光に確立されて、少しも心を乱すことなく、ただ一人この地上を放浪されたのでした。
(中略)
内なるアートマンに祝福を見い出した、解脱の授与者たる主リシャバデーヴァは、こうしてヨーガの実修に助けとなる様々な生き方をされて、御自身の内にて既に存在する、人生の目的の完遂という祝福を、再び最高度にまでわがものとされたのです。
なぜならリシャバデーヴァは、全生物のアートマンであり、かつ主でもあるヴァースデーヴァを自分自身と同一視することにより、アートマンと自分を隔てる微細身を消滅させることに成功したからでした。』
(バーガヴァタ・プラーナ中巻/美莉亜訳/ブイツーソリューションP29-30から引用)
この文章でひっかかるところは3か所。
ひとつは、「やがて祭火を自身の中に受け取る」というところ、ここでクンダリーニの火を用い何かをやった。クンダリーニ・ヨーガの実習に際しては、まず社会生活を放棄して、その後に修行に入ったのだが、これだけの表現でもわかる人はわかるのだろう。
もうひとつは、「主でもあるヴァースデーヴア自分自身と同一視すること」。そのような観想法を用いて至ったということでしょう。
いまひとつは、「アートマンと自分を隔てる微細身を消滅させる」のところ。微細身はコーザル体までなので、この表現だとアートマンと微細身が同レベルにあるかと誤解するが、そんな誤解もなんのその。コーザル体を越えてアートマンに入ったことを言うのだと思う。
バクティと自己実現、感官の満足を求めない、自分がどうなろうと気にしない、こうした生き方こそ現代人の求める生き方であって、それができれば、諸悪莫作(悪事をしない)、衆善奉行(善を行う)、自浄其意(自ずからその意識が清らかである)となる。
【チャクラと七つの身体-324】
◎アートマン-28
4.ヒンドゥー教 ◎最高者リシャバデーヴァ
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