◎呂洞賓(ろどうひん)のアートマン
呂洞賓は8世紀の道家。呂洞賓の弟子の聞き書きが太乙金華宗旨。
インド流のクンダリーニ・ヨーガでは、スシュムナー、イダー、ピンガラーという3本の左右に並ぶ脈管でのクンダリーニの動きを用いるが、周天では、任脈、督脈という前後に並ぶ脈管での周回を用いるのが特徴といえよう。
太乙金華宗旨の根幹部分である逍遥訣の最後の方に『儒教、仏教、道教は、一言で言えば、死から出て生に入る無心の状態(神丹)であるとあり、この技法が死の世界を窮めること(坤徳)により、生の世界の真相を知るものであるとされており、正統的なクンダリーニ・ヨーガの流れのものであることを自証している。
すなわち、呼吸と脈拍が止まり、肉体死が起こり、そこからエネルギーが上昇して、天上(中心太陽)に帰っていき、死の世界の至福を味わうという流れであり、メインストーリーは、肉体死からの中心太陽突入をほのめかすものである。
そして神が神を神している状態の暗喩、「どこにもない場所こそ真の家である」で語り尽くしている。
逍遥訣
第一句
天心(タオ)は、魂の逍遥する秘訣を留め下ろしてきた。
第二句
「無為にして為す」の教えとは、精神の働きを集中させて(神を凝らせ)、サハスラーラ・チャクラ(気の穴・金華)に入ることである。
第三句
六月に、にわかに白い雪が飛ぶのを見る。
(6月は、人間側の象徴。大周天とは宇宙と人間のダイナミックなエネルギーの循環をイメージしている。宇宙側は、0時または12月で象徴されることがあり、その反対位置の6月は人間の謂いだと思われる。
OSHOバグワンは、六月の俄かな白い雪については、静謐さ、爽快さ、穏やかさの表現と見る。まだ初歩的な境地だと読む。)
第四句
真夜中に、日輪が輝くのを見る。
(真夜中は死の世界のこと。日輪はまさに中心太陽のこと。死の世界で日輪を見るシチュエーションは、クンダリーニ覚醒のプロセスで、無上の垂直道から中心太陽をみるステージのことか。
OSHOバグワンは、この句について、見守ることに専念していると、内も外も光で満たされることとする。ここも、まだ初歩的な境地だと読む。)
第五句
水中にそよ風が吹く
(クンダリーニが気の風に乗って上昇するということか。
OSHOバグワンは、この句について、ここで人は先入観と固定した生き方を捨てて変化することに対して柔軟になり、この瞬間が神に気がつく瞬間だとする。)
逍遥訣にひき続き、補足説明があるが、以下はその一部。
(1)『坎陽は上騰すれば、坎陽でない。乾陽の乾陽に応ずる』とある。坎陽(ムラダーラ・チャクラ)からクンダリーニが上がっていけば、乾陽(サハスラーラ・チャクラ)に出会うと読みたい。
坎陽の坎とは、水のことであり、水中にそよ風が吹くとは、クンダリーニ(エネルギー・コード)がムラダーラ・チャクラから、気(風)の流れに乗って、上昇する様と見る。
(2)坎陽と乾陽が会えば、それは純陽となり、『自分は、太虚の無量のように恍惚とした状態となり、全身軽やかになり、上昇しようとする。これを「雲が千山に満つる」状態とする』
坎陽と乾陽の合体は、両性具有の実現で、コーザル体レベル。
OSHOバグワンは、この部分で、人は神に出会うと見る。これがアートマン・レベルと思われる。
(3)次に自分が何の跡も残さず行ったり来たり浮いたり沈んだりしても何も気が付かない。そして脈拍も停止し、呼吸が止まる(肉体死)。この状態を真の男性原理と女性原理の合体と呼び、月満水を涵(ひた)す状態と言う。
※男性原理と女性原理の合体ならば、コーザル体レベルではある。
月満水を涵(ひた)す状態とは、月たるアートマンが、水たる諸現象に一致している状態と考える。
(4)この冥冥たる状態、肉体死の状態から、にわかに天のエネルギー(天心)が動き始め、ここが陽気が動き始めるポイント(活子時)である。
このポイントから、昇降(周天)が始まる。これぞピーク・エクスペリエンスを経た後の再生である。
(5)そして 天のエネルギー(天心)は、上方の乾頂(中心太陽)に昇る。
中心太陽合体時は、心身は完全に開放されており、一切のかかわりは跡形もなくなる。
これを、(逍遥訣第一句の)精神がサハスラーラ・チャクラに入ることと呼ぶ。
第六句
天上(中心太陽)に遊び帰って行き、死の世界の至福(坤徳)を味わう。
(OSHOバグワンは、この句について、二元性は消え、天国的なものを楽しむとする。)
第七句
そして奥義中の奥義をしめす一句がある。
第八句
どこにもない場所こそ真の家である。
(無何有郷は是れ真宅なり)
(OSHOバグワンは、この句について、ここで自分が存在していないことに気づくとする。自分がどこにいるのか、自分が誰なのか言えなくなる。これが本当の「今ここ」。)
【チャクラと七つの身体-330】
◎アートマン-34
5.道教と儒教 ◎呂洞賓(ろどうひん)のアートマン
(ザ・ジャンプ・アウト384)
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呂洞賓は8世紀の道家。呂洞賓の弟子の聞き書きが太乙金華宗旨。
インド流のクンダリーニ・ヨーガでは、スシュムナー、イダー、ピンガラーという3本の左右に並ぶ脈管でのクンダリーニの動きを用いるが、周天では、任脈、督脈という前後に並ぶ脈管での周回を用いるのが特徴といえよう。
太乙金華宗旨の根幹部分である逍遥訣の最後の方に『儒教、仏教、道教は、一言で言えば、死から出て生に入る無心の状態(神丹)であるとあり、この技法が死の世界を窮めること(坤徳)により、生の世界の真相を知るものであるとされており、正統的なクンダリーニ・ヨーガの流れのものであることを自証している。
すなわち、呼吸と脈拍が止まり、肉体死が起こり、そこからエネルギーが上昇して、天上(中心太陽)に帰っていき、死の世界の至福を味わうという流れであり、メインストーリーは、肉体死からの中心太陽突入をほのめかすものである。
そして神が神を神している状態の暗喩、「どこにもない場所こそ真の家である」で語り尽くしている。
逍遥訣
第一句
天心(タオ)は、魂の逍遥する秘訣を留め下ろしてきた。
第二句
「無為にして為す」の教えとは、精神の働きを集中させて(神を凝らせ)、サハスラーラ・チャクラ(気の穴・金華)に入ることである。
第三句
六月に、にわかに白い雪が飛ぶのを見る。
(6月は、人間側の象徴。大周天とは宇宙と人間のダイナミックなエネルギーの循環をイメージしている。宇宙側は、0時または12月で象徴されることがあり、その反対位置の6月は人間の謂いだと思われる。
OSHOバグワンは、六月の俄かな白い雪については、静謐さ、爽快さ、穏やかさの表現と見る。まだ初歩的な境地だと読む。)
第四句
真夜中に、日輪が輝くのを見る。
(真夜中は死の世界のこと。日輪はまさに中心太陽のこと。死の世界で日輪を見るシチュエーションは、クンダリーニ覚醒のプロセスで、無上の垂直道から中心太陽をみるステージのことか。
OSHOバグワンは、この句について、見守ることに専念していると、内も外も光で満たされることとする。ここも、まだ初歩的な境地だと読む。)
第五句
水中にそよ風が吹く
(クンダリーニが気の風に乗って上昇するということか。
OSHOバグワンは、この句について、ここで人は先入観と固定した生き方を捨てて変化することに対して柔軟になり、この瞬間が神に気がつく瞬間だとする。)
逍遥訣にひき続き、補足説明があるが、以下はその一部。
(1)『坎陽は上騰すれば、坎陽でない。乾陽の乾陽に応ずる』とある。坎陽(ムラダーラ・チャクラ)からクンダリーニが上がっていけば、乾陽(サハスラーラ・チャクラ)に出会うと読みたい。
坎陽の坎とは、水のことであり、水中にそよ風が吹くとは、クンダリーニ(エネルギー・コード)がムラダーラ・チャクラから、気(風)の流れに乗って、上昇する様と見る。
(2)坎陽と乾陽が会えば、それは純陽となり、『自分は、太虚の無量のように恍惚とした状態となり、全身軽やかになり、上昇しようとする。これを「雲が千山に満つる」状態とする』
坎陽と乾陽の合体は、両性具有の実現で、コーザル体レベル。
OSHOバグワンは、この部分で、人は神に出会うと見る。これがアートマン・レベルと思われる。
(3)次に自分が何の跡も残さず行ったり来たり浮いたり沈んだりしても何も気が付かない。そして脈拍も停止し、呼吸が止まる(肉体死)。この状態を真の男性原理と女性原理の合体と呼び、月満水を涵(ひた)す状態と言う。
※男性原理と女性原理の合体ならば、コーザル体レベルではある。
月満水を涵(ひた)す状態とは、月たるアートマンが、水たる諸現象に一致している状態と考える。
(4)この冥冥たる状態、肉体死の状態から、にわかに天のエネルギー(天心)が動き始め、ここが陽気が動き始めるポイント(活子時)である。
このポイントから、昇降(周天)が始まる。これぞピーク・エクスペリエンスを経た後の再生である。
(5)そして 天のエネルギー(天心)は、上方の乾頂(中心太陽)に昇る。
中心太陽合体時は、心身は完全に開放されており、一切のかかわりは跡形もなくなる。
これを、(逍遥訣第一句の)精神がサハスラーラ・チャクラに入ることと呼ぶ。
第六句
天上(中心太陽)に遊び帰って行き、死の世界の至福(坤徳)を味わう。
(OSHOバグワンは、この句について、二元性は消え、天国的なものを楽しむとする。)
第七句
そして奥義中の奥義をしめす一句がある。
第八句
どこにもない場所こそ真の家である。
(無何有郷は是れ真宅なり)
(OSHOバグワンは、この句について、ここで自分が存在していないことに気づくとする。自分がどこにいるのか、自分が誰なのか言えなくなる。これが本当の「今ここ」。)
【チャクラと七つの身体-330】
◎アートマン-34
5.道教と儒教 ◎呂洞賓(ろどうひん)のアートマン
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