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哲学から神へ

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◎ラーマクリシュナの哲学の位置

19世紀インドの聖者ラーマクリシュナの会話の中に、哲学と神との関わりについて注目すべき言及がある。
※タクルとはラーマクリシュナのこと。


校長「この世は、虚構なのでございますか」
タクル「世界がどうしてウソなんだい?そりゃみんな哲学の話だよ。
はじめのうち、”これではない、これでもない”と分別判断している時期は、あの御方は生き物ではない、世界ではない、二十四の(存在)原理でもない、ということになって、こんなものは、皆マボロシだということになる。
そのあとが、ひっくりかえる。そして、あの御方こそが、生物やこの世界になっていらっしゃると、わかるんだよ。

(中略)

”私”という感じはなくならないよ。この”私の頭”があるうちは、生き物も世界もちゃんとあるんだ。あの御方をつかんだら、あの御方自身が生物と世界になっていらっしゃることがよくわかる--ただ考えるだけじゃわからないがね。」』
(人類の知的遺産/ラーマクリシュナ/講談社P187-188から引用)

空海の十住心論の第九住心にも「いわゆる空性は、感官と対象とを離れて、かたちもなく、境界もない。もろもろの無益な議論を越えて虚空に等しい。」とあり、哲学的な客観的世界感に至るが、それは虚構であるという。この認識の状態が、この校長のいう虚構である。

「あの御方自身が生物と世界になっていらっしゃる」のは、第六身体アートマンのレベルであるので、あらゆるものが虚構であるという感じが起こるのは、人間として最後の段階と思われるのでこれは、第五身体コーザル体のレベルであるように考えられる。

「そのあとが、ひっくりかえる。」とは、その後の第六身体アートマンからは、もはや自分の体験ではなく、神が神を体験する状態になることを言っているように思う。クンダリーニ覚醒で、意識がコーザル体に出る前に一定の世界認知が崩壊するポイントがあるが、これが、「ひっくりかえる」プロセスの始まりということになろう。

「この”私の顔”があるうちは、生き物も世界もちゃんとあるんだ。」とは、 第五身体コーザル体以下のレベルで、生き物や世界が、生き物や世界として個別バラバラに存在している状態。このように個別の人間が、分析的な思弁を重ねていけば、「世界は虚構である」という認識と実感に至るが、その先では、ひっくりかえるのである。

空海は、ひっくりかえるという言い方ではないので、ややわかりにくいが、第九住心は哲学的思弁の世界で、次に第十住心の「既にあらゆる迷いの暗黒を離れたので、絶対の無垢である」という表現で、そのニュアンスがあることがわかる。

【チャクラと七つの身体-365】
◎アートマン-69
13.その他 ◎哲学から神へ
(ザ・ジャンプ・アウト419)

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