◎神なき時代
現代人が冥想という習慣の必要性を全く理解しないことについての理由は、まず神・仏・宇宙意識そのものが、自分とは縁の遠い他人事であること。
たとえば自分が神の現れだ、他人が神の現れだなどと言っても、とても神だとは思えないような人が多いこと。
また自分の境遇がミジメで、神の現れである自分がこんなにひどい生活をしなくてはならないことに感情的に納得がいかないこと。こんな生活に神の全能性を感じ取ることができないというのは、生活者、消費者の意識としてはもっともなことである。
結局まず、神・仏・宇宙意識・ニルヴァーナがどのようなものか、正しいイメージ、共通認識をもってもらうことが必要なこと。そしてそれは結局、概念やイメージで捉えられないことと、直接的には、自分の生活や資産や収入の向上などの物質的なものとは全く関係のないものであることを認識してもらうことなのだが。
次に冥想が神・仏・宇宙意識に近づく手段であるという認識がないこと。
それに到る手段は、常識的には冥想しかないことを、古今東西の聖者の修行カリキュラムを通して理解してもらうこと。これは前の課題に比べると簡単かもしれない。
トータルで見て、これだけ理屈のとおらないことを、かなり運良く、理論的に納得しても人は行動に遷していくものではない。感動が人を動かすのである。
イエス・キリストはパンの数を増やしたりして、本来ご法度であるはずの超能力を駆使して、人々に感動を与えて行動に移させた。
今の時代は自分の身近に神を生きる人がたまたま居て、その無私で率直な生き方から感動をもらって、それを糧にして冥想の習慣を始めるということになろうか思う。
ところが身近なところに無私な生活をしている人がざらにいれば、こんなにお粗末な時代にはなっていない。感動を与えてくれるべき聖なる友人などなかなか見つかるものではない。
この三重苦のステイタスが、神なき時代と呼ばれる。
神の正しいイメージも持たず、冥想もせず、知り合いに覚者もいない。
【チャクラと七つの身体-375】
◎ニルヴァーナ-3
2.ニルヴァーナと冥想-1 ◎神・仏・ニルヴァーナについての共通認識がない
(ザ・ジャンプ・アウト429)
現代人が冥想という習慣の必要性を全く理解しないことについての理由は、まず神・仏・宇宙意識そのものが、自分とは縁の遠い他人事であること。
たとえば自分が神の現れだ、他人が神の現れだなどと言っても、とても神だとは思えないような人が多いこと。
また自分の境遇がミジメで、神の現れである自分がこんなにひどい生活をしなくてはならないことに感情的に納得がいかないこと。こんな生活に神の全能性を感じ取ることができないというのは、生活者、消費者の意識としてはもっともなことである。
結局まず、神・仏・宇宙意識・ニルヴァーナがどのようなものか、正しいイメージ、共通認識をもってもらうことが必要なこと。そしてそれは結局、概念やイメージで捉えられないことと、直接的には、自分の生活や資産や収入の向上などの物質的なものとは全く関係のないものであることを認識してもらうことなのだが。
次に冥想が神・仏・宇宙意識に近づく手段であるという認識がないこと。
それに到る手段は、常識的には冥想しかないことを、古今東西の聖者の修行カリキュラムを通して理解してもらうこと。これは前の課題に比べると簡単かもしれない。
トータルで見て、これだけ理屈のとおらないことを、かなり運良く、理論的に納得しても人は行動に遷していくものではない。感動が人を動かすのである。
イエス・キリストはパンの数を増やしたりして、本来ご法度であるはずの超能力を駆使して、人々に感動を与えて行動に移させた。
今の時代は自分の身近に神を生きる人がたまたま居て、その無私で率直な生き方から感動をもらって、それを糧にして冥想の習慣を始めるということになろうか思う。
ところが身近なところに無私な生活をしている人がざらにいれば、こんなにお粗末な時代にはなっていない。感動を与えてくれるべき聖なる友人などなかなか見つかるものではない。
この三重苦のステイタスが、神なき時代と呼ばれる。
神の正しいイメージも持たず、冥想もせず、知り合いに覚者もいない。
【チャクラと七つの身体-375】
◎ニルヴァーナ-3
2.ニルヴァーナと冥想-1 ◎神・仏・ニルヴァーナについての共通認識がない
(ザ・ジャンプ・アウト429)