◎なづな七草 唐土の鳥が渡らぬさきに
2013年8月にスタートした、七つの身体全体を網羅することを意識した「ザ・ジャンプ・アウト」のシリーズも、ようやく七つの身体の最終コーナーであるニルヴァーナの章が来年1月に終わろうとするところまでこぎ着けた。時に迷宮と呼ばれるこのブログもこれによって道に迷わないで、ある程度の正統な神・仏・タオのイメージを結ぶことができる人が増えてくれれば幸いである。
「ザ・ジャンプ・アウト」のシリーズの七つの身体と言えば、20世紀初頭に活躍したブラバツキー夫人の神智学一派の言及したものを指すと説明される場合があるが、実際は、OSHOバグワンやダンテス・ダイジもその説明の根幹に置いたように普遍的基礎的な概念である。
現代アメリカの覚者ケン・ウィルバーは、七区分さえかなり柔軟にとらえており、ニルヴァーナとアートマンについてはどの覚者もほとんど共通した捉え方をするが、コーザル体以下は、人によって捉え方はバラバラなものであると見ている。ここにケン・ウィルバーは、宗派の違いを超えた宗教の本質的な共通性を説明することに成功したと言える。
あらゆる宗教に通底するものが七つの身体であるということになれば、次はそれに至るメソッドとして冥想が再評価されることになる。ニルヴァーナに至るメソッドとしては、只管打坐とクンダリーニ・ヨーガが最適とされるが、それを論証することは容易ではない。
例えば只管打坐。結跏趺坐あるいは半跏趺坐という固定した姿勢で坐って起こるのは様々な冥想の広がりであって、最後に黙照枯座たる只管打坐が起こる、そして身心脱落に至るだろう。このプロセスは今のところ論証できないから仮説に過ぎないが、中国の雪巌祖欽禅師の冥想修行のエピソードを読むと、公案中心であってずっと只管打坐ばかりやっていたわけではないが、移りゆく冥想それ自体の展開というものを想像させるものがあり、最後には大地が落ち込む感覚といともに、ニルヴァーナに行きついており、「身心脱落」というネーミングの由来を思わせる次第になっている。
公案をやったり、無字マントラをやったりして、只管打坐が起こったのはいつかは明確には書いていないから、論証はできないということである。
クンダリーニ・ヨーガに比べれば単純そうな只管打坐でもこのような具合であるから、ましてクンダリーニ・ヨーガについて大要を示し論証するなどというのは、もっと至難の業である。
現代人は知性が発達して、論理的に明快でないものは信用しないが、こんなわけで頭の良い人ほど「特定の冥想手法で悟りに至る」などということは信じないということになる。この結果拝金教がはびこり、多くの狂人が街を闊歩するという恐るべき事態になっている。
さて、このブログの全体のバランスを見ると肉体を鍛えるハタ・ヨーガの部分が少ないのだが、今年のテーマは肉体だった。いろいろな不調の自覚から晩秋から毎日ジョギングめいたものを始めた。これによって、若い時から毎年11月は不調に苦しむことが多かったのだが、全体として爽快な日々を過ごすことが出来たのはとても意外なことだった。
中高年はウォーキングを勧められることが多い事、そして冥想修行者は、風雪のヒマラヤの5千メートルの一夜を露天で坐禅の姿勢で肉体の内部から暖めて乗り切った河口慧海のように冥想による内分泌腺の活発化により寒中でも汗をかくほどではないといけないという先入観もあり、なかなか走るようなことをしようとまでは思わなかった。しかしながら、老境に至っても肉体も軽いジョギングなどで上手に鍛えていけば、ある程度の快適さは回復できるという実感を得たのは望外のことだった。
(※アマゾンのkindle本で河口慧海のチベット旅行記はなぜか無料になっています。)
来年は、このようなテーマもやりたい。
1.依存(ギャンブル依存、薬物依存、ゲーム依存、スマホ依存、アルコール依存など)というものが洗脳手法の発展と相まって、多数の精神異常者を醸成していること。
2.個人主義なライフ・スタイルになりきれない日本人とそのシンボルとしての猫、背景として忍び寄る貧困。
そして政治・軍事。米国の軍事力の弱体化により、中国、ロシア勢力と朝鮮半島、中東、ウクライナを舞台にした軍事衝突の可能性が高まっていること。今や軍事専門家でなくとも、この程度のことは様々な報道で推測できるレベルになった。スノーデン事件、マレーシア周辺で航空機が3機墜落ないし不明になっていること(ウクライナでの撃墜も含む)など全貌が明らかになっていない国際的大事件が続くのはそうした国際パワー・ポリティクスの不安定さの反映と見える。特にオバマが中国寄りであるがゆえに中国が何か仕掛けるならオバマ在任中だろうと思う。択捉島にロシア空軍基地が完成し、中国軍艦は日本列島の周囲を繰り返し、まさかの本土空襲があってもおかしくない時代になってきた。来年は大乱を予想する人が多いが、そのとおりだと思う。
出口王仁三郎が随筆集玉鏡で、『昔から「なづな七草 唐土の鳥が渡らぬさきに云々」 と云ふ歌がある。これは唐土の鳥即ち外国の飛行機から毒瓦斯(毒ガス)を投下するその時に、七草を食べて居れば毒瓦斯にあたらぬと云ふ予言警告である。
なづなと云ふのは冬青々としたもので、松葉でも葱でも皆薬となるものである。七草は七種の意である。』というのは、この時代のことを詠んだものだと思う。
この一年ご来訪ありがとうございました。来年が良い年でありますように。
2013年8月にスタートした、七つの身体全体を網羅することを意識した「ザ・ジャンプ・アウト」のシリーズも、ようやく七つの身体の最終コーナーであるニルヴァーナの章が来年1月に終わろうとするところまでこぎ着けた。時に迷宮と呼ばれるこのブログもこれによって道に迷わないで、ある程度の正統な神・仏・タオのイメージを結ぶことができる人が増えてくれれば幸いである。
「ザ・ジャンプ・アウト」のシリーズの七つの身体と言えば、20世紀初頭に活躍したブラバツキー夫人の神智学一派の言及したものを指すと説明される場合があるが、実際は、OSHOバグワンやダンテス・ダイジもその説明の根幹に置いたように普遍的基礎的な概念である。
現代アメリカの覚者ケン・ウィルバーは、七区分さえかなり柔軟にとらえており、ニルヴァーナとアートマンについてはどの覚者もほとんど共通した捉え方をするが、コーザル体以下は、人によって捉え方はバラバラなものであると見ている。ここにケン・ウィルバーは、宗派の違いを超えた宗教の本質的な共通性を説明することに成功したと言える。
あらゆる宗教に通底するものが七つの身体であるということになれば、次はそれに至るメソッドとして冥想が再評価されることになる。ニルヴァーナに至るメソッドとしては、只管打坐とクンダリーニ・ヨーガが最適とされるが、それを論証することは容易ではない。
例えば只管打坐。結跏趺坐あるいは半跏趺坐という固定した姿勢で坐って起こるのは様々な冥想の広がりであって、最後に黙照枯座たる只管打坐が起こる、そして身心脱落に至るだろう。このプロセスは今のところ論証できないから仮説に過ぎないが、中国の雪巌祖欽禅師の冥想修行のエピソードを読むと、公案中心であってずっと只管打坐ばかりやっていたわけではないが、移りゆく冥想それ自体の展開というものを想像させるものがあり、最後には大地が落ち込む感覚といともに、ニルヴァーナに行きついており、「身心脱落」というネーミングの由来を思わせる次第になっている。
公案をやったり、無字マントラをやったりして、只管打坐が起こったのはいつかは明確には書いていないから、論証はできないということである。
クンダリーニ・ヨーガに比べれば単純そうな只管打坐でもこのような具合であるから、ましてクンダリーニ・ヨーガについて大要を示し論証するなどというのは、もっと至難の業である。
現代人は知性が発達して、論理的に明快でないものは信用しないが、こんなわけで頭の良い人ほど「特定の冥想手法で悟りに至る」などということは信じないということになる。この結果拝金教がはびこり、多くの狂人が街を闊歩するという恐るべき事態になっている。
さて、このブログの全体のバランスを見ると肉体を鍛えるハタ・ヨーガの部分が少ないのだが、今年のテーマは肉体だった。いろいろな不調の自覚から晩秋から毎日ジョギングめいたものを始めた。これによって、若い時から毎年11月は不調に苦しむことが多かったのだが、全体として爽快な日々を過ごすことが出来たのはとても意外なことだった。
中高年はウォーキングを勧められることが多い事、そして冥想修行者は、風雪のヒマラヤの5千メートルの一夜を露天で坐禅の姿勢で肉体の内部から暖めて乗り切った河口慧海のように冥想による内分泌腺の活発化により寒中でも汗をかくほどではないといけないという先入観もあり、なかなか走るようなことをしようとまでは思わなかった。しかしながら、老境に至っても肉体も軽いジョギングなどで上手に鍛えていけば、ある程度の快適さは回復できるという実感を得たのは望外のことだった。
(※アマゾンのkindle本で河口慧海のチベット旅行記はなぜか無料になっています。)
来年は、このようなテーマもやりたい。
1.依存(ギャンブル依存、薬物依存、ゲーム依存、スマホ依存、アルコール依存など)というものが洗脳手法の発展と相まって、多数の精神異常者を醸成していること。
2.個人主義なライフ・スタイルになりきれない日本人とそのシンボルとしての猫、背景として忍び寄る貧困。
そして政治・軍事。米国の軍事力の弱体化により、中国、ロシア勢力と朝鮮半島、中東、ウクライナを舞台にした軍事衝突の可能性が高まっていること。今や軍事専門家でなくとも、この程度のことは様々な報道で推測できるレベルになった。スノーデン事件、マレーシア周辺で航空機が3機墜落ないし不明になっていること(ウクライナでの撃墜も含む)など全貌が明らかになっていない国際的大事件が続くのはそうした国際パワー・ポリティクスの不安定さの反映と見える。特にオバマが中国寄りであるがゆえに中国が何か仕掛けるならオバマ在任中だろうと思う。択捉島にロシア空軍基地が完成し、中国軍艦は日本列島の周囲を繰り返し、まさかの本土空襲があってもおかしくない時代になってきた。来年は大乱を予想する人が多いが、そのとおりだと思う。
出口王仁三郎が随筆集玉鏡で、『昔から「なづな七草 唐土の鳥が渡らぬさきに云々」 と云ふ歌がある。これは唐土の鳥即ち外国の飛行機から毒瓦斯(毒ガス)を投下するその時に、七草を食べて居れば毒瓦斯にあたらぬと云ふ予言警告である。
なづなと云ふのは冬青々としたもので、松葉でも葱でも皆薬となるものである。七草は七種の意である。』というのは、この時代のことを詠んだものだと思う。
この一年ご来訪ありがとうございました。来年が良い年でありますように。