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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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一生の終わりも幻住なるべし

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◎幻(ドリーム)とも自覚しないうちに一生の終りに至る

大量死だかなんだかわからないが、東日本大震災という大地震、大津波、原発事故という大災害コラボで、既に引きがねは引かれた。

昔、NHKの朝ドラで、「おしん」というのがあって、子供のおしんをいじめ抜いた父親(伊藤四郎)が、何十年も経って後、死ぬ間際になって、意外にもおしんにやさしい言葉をかけるなど、人格が真人間に立ち返っていく場面があり、ぎょっとさせられたことがある。

一休も病気がちだったが、芭蕉も病気がちだった。

松尾芭蕉は、30代で見性し、50歳間近になって、滋賀県大津市の中古木造住宅に住むことになった。これを幻住庵と名付けた。

(芭蕉の幻住庵記を現代語拙訳)
『私は、ただひたすらに閑寂を好むというのではない。ただ病身のため人にうみ、世を逃れた人に似ている。

なんということか、仏法を修行するでもなく、世の職務をつとめるでもなく、仁にもつかず、義にもよらず、若い時から、ただむやみと好きなことがあって、それが、ひとまず生活の手段とさえなったので、わが身の無能無才により、とうとうこの一筋につながれたもの。

およそ西行・宗祇の風雅の道におけるもの、雪舟の絵におけるもの、利休の茶におけるものについて、我と彼らとの賢愚は異なるが、これらに一貫しているものは一つであろうと、痛む身体の背中を押したり、腹をさすったり、痛みに顔をしかめたりするうちに、いつのまにか人生の初秋も半ばを過ぎた。

一生の終りもこれに同じく、夢の如くにして、又々幻住なるべし

先ずたのむ 椎の木もあり 夏木立

頓(やがて)死ぬ けしきも見えず 蝉の声』

芭蕉は、頼りになる椎の木を見つけた。椎の木(本来もなき古(いにしえ)の我)を見つけた自分も、見つけなかった人も
頓(やがて)死ぬ けしきも見えず 蝉の声

芭蕉は、蝉の声に現象世界全体の生成化々を見ている。






悟りとは何か

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