Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

謝れば許される国

$
0
0
◎言向け和(やわ)す

謝ったら許す国は、どうも日本だけだ。

中国人・韓国人は、過ちをしでかしても絶対に自分の非を認めない。マグレブからトルコに始まりインドネシア・マレーシアに終わるイスラム圏でも、過ちをしでかしても絶対に自分に落ち度があることを認めて謝ったりしない。

フランス人もイギリス人もドイツ人もアメリカ人も、言い訳言い訳で、まず謝罪しない。ちょっとでも自分の非を指摘されると一気に逆切れ態勢に入る人もいる。

つまり自分の非を認めるというのは責任を取らされたり、損害賠償をさせられたりで大変だから、というのはわかる。

まあ、どこの国でもちゃんとした人は、礼儀正しく、きちんと謝罪もできるので、万人がということではない。

一方でキリスト教には懺悔告解で許しの秘跡を与えられるという、そもそも欧州の風俗習慣にはなかった制度があった。これは内的圧力を一時緩和するという効果はあったが、免罪符を産む土壌となった傷はある。

広島の原爆死没者慰霊碑の碑文には、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」とあって、日本は自らの責任を認めた文章になっている。逆にこれは認めすぎかもしれない。

古神道には、わからずやな者を教化する定番の手法として「言向け和(やわ)す」というのがある。これは霊界物語には盛んに出て来るのだが、聖者が敵やわかっていない者に対して理屈で説得するとなぜかわかってくれるみたいな書き方であって、読んでいてもその本質はわかりにくい。

「言向け和(やわ)す」とは、結局破竈堕(はそうだ)和尚が竈の神にしてみせたように、相手を悟りの手前まで誘導してあげることなのだろうと思う。

「その非の原因となった自分の過ちも、その被害者となった他人の苦痛も一つながりの一者・アートマンである」という気づきに接近せしめるというのが、この場合の非を認め謝らせるということなのではないかと思った。



Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>