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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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盤珪禅師の坐り方

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飢えも厭わず横にならずに坐禅する

盤珪は、兵庫県の人。10歳で父と死別。大学を素読するに、「大学の道は明徳を明らかにするにあり」というところが不明で、ひっかかった。近所の儒者に問うたところ、禅僧が知っておろうということで依然明徳の何たるかは明らかにならなかった。

17歳で出家して、、赤穂の臨済宗妙心寺派随鴎寺に入った。
そこで山に入っては7日間もものを食べないで坐禅に打ち込み、尖った岩にのぼっては、着物を敷いてそこから落ちる不安もあるが、自然に坐がほどけて落ちるまでそこから立たないで坐禅した。このように何日も食べないままで坐禅することが多々あった。

この若さで、ここまで長時間徹底して坐れるのは、よほど生まれ落ちた時から準備ができていた人物だけだと思う。

これでもだめで、故郷に帰って庵室を結んで、横になることを一切せず、念仏三昧の日を送ったが、これでも明徳は明らかにならなかった。

横になることを一切しないというのも、よほどの覚悟があってのこと。

しばらくして山城の松の尾神社で拝殿に坐り、七日間不眠不休で修行した。これでも明徳は明らかにならなかった。

また数か月、川の中に立ったままという修行をした。それでも、よくわからなかった。豊後ではらい病の乞食と同じ食物を食べ合った。吉野の山にこもって修行もした。それでも明徳は判然としなかった。

あまりにも猛烈に坐禅したので、尻の皮が破れて血が流れて止まらず、小杉原紙を一帖ずつ取り替えてはその上に坐り、一日も横寝もせずに坐禅に打ち込んだ。それでも坐りにくい時は綿などを敷いて坐った。それでも横になることがなかったので、疲れも加わって大病人となった。

その後の結核を病みながら大悟した消息はあまりにも有名なので、ここでは触れない。

それにしても道元もびっくりの坐禅三昧ぶりである。壱日に4~5時間坐れるというのも、よほど熟している証拠であって、それだけでも常人ではない。

自分の健康も養生も空腹も関係なく坐れるのは、それもまた通常の社会人の生活ではないが、一途に明徳を究めんがため生活時間の大半を冥想に充てられるのもまた普通の社会人では困難なことである。



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