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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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十字架のヨハネの神の観想の極致-1

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◎誰にも見られず、何も見ないで

十字架のヨハネの「暗夜」は神の観想の極致を述べたものである。400年も前にこのような研ぎ澄まされた純粋な観想についての著述があることをとても幸運に思う。

『第三の歌

この幸いな夜に
誰にも見られず、何も見ないで、
ひそかに私は出て行った
心に燃え立つ光の他には
何の光に導きもなしに

説明

1.霊魂は、彼の言う霊的夜にこの世の夜というたとえと比喩を当てはめてする説明をさらに続け、その夜の中にあるすぐれた特質を歌い、賛美する。霊魂はこの夜を介して、これらの特質を見出したのであり、待望の目的地に速やかに、安全にたどり着くことができるよう、それを身に着けて行ったのである。これらの特質のうち、霊魂はここで、次の3つを挙げている。

2.第一の特質は、この幸福な観想の夜において、神は霊魂を非常に孤独で秘密な観想という様式によって導かれ、被造物の接触も、感覚に属するものは何ものも、愛の一致の途上で霊魂を乱し、引き留めようとして霊魂に至りつくことはできないほど、感覚から遠く離れた様式によって導かれるということである。』
(暗夜/十字架のヨハネ/ドン・ボスコ社P305-306から引用)

霊的夜とは、いわゆる世間的な意味でのお先真っ暗ではなく、孤独な観想のことを指す。ここで言う秘密とは:

秘密の英知が愛によって霊魂に与えられるのだが、この供与は悟性、感覚の届かないところで行われるので、いわば闇の中で秘密に行われる。よって霊魂はその秘密の英知を知りもせず、それがどういうことなのか悟ることもなく、また語ることもできない。

こうしたニュアンスで秘密である。

また第一の特質に関する説明では、感覚的なものは一切排除したところにそれは起こるとしている。

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