◎明治維新の秘密
天皇家は、皆仏教徒であり、皆念持仏を持ち、6世紀の用明天皇以来仏教徒でなかった天皇はいない。
『あるいは、清和天皇の貞観の政治・醍醐天皇の延喜の治、村上天皇の天暦の政・等々、すべてもとを正せば聖徳太子の十七条の憲法に則られて、仏教精神をもって仁政をほどこされたのである。暦代天皇の御崇仏についての事例はまことに枚挙にいとまがないほどである。いま京都東山の泉涌寺に参れば、その御崇仏の念がいかにあつかったかがうかがわれるであろう。
明治天皇が崩御されるとき、「朕が一生に於いて、心残りのことは、即位式を仏教の大元帥の法によって出来なかったことである」と仰されたということは、天皇の御心情として察するに余りあるものがある。(「松島善海師談」)
このように歴代天皇皇族等すべて仏教徒にましましたものを、明治4年9月14日、政府は天皇家御累代の念じ仏・厨子・仏具等一切を皇家菩提寺たる泉涌寺ヘ移してしまって、天皇を時代錯誤もはなはだしい現人神としてしまった。これは天皇家への宗教的精神的クーデターでもあったのである。』
(廃仏毀釈百年/佐伯恵達/鉱脈社P341から引用)
当時天皇家全体を事実上改宗せしめるほどの権力権威が薩長にあったとは考えにくい。その権力・権威こそが明治維新の真の主人公であったに相違ない。
天皇家は、皆仏教徒であり、皆念持仏を持ち、6世紀の用明天皇以来仏教徒でなかった天皇はいない。
『あるいは、清和天皇の貞観の政治・醍醐天皇の延喜の治、村上天皇の天暦の政・等々、すべてもとを正せば聖徳太子の十七条の憲法に則られて、仏教精神をもって仁政をほどこされたのである。暦代天皇の御崇仏についての事例はまことに枚挙にいとまがないほどである。いま京都東山の泉涌寺に参れば、その御崇仏の念がいかにあつかったかがうかがわれるであろう。
明治天皇が崩御されるとき、「朕が一生に於いて、心残りのことは、即位式を仏教の大元帥の法によって出来なかったことである」と仰されたということは、天皇の御心情として察するに余りあるものがある。(「松島善海師談」)
このように歴代天皇皇族等すべて仏教徒にましましたものを、明治4年9月14日、政府は天皇家御累代の念じ仏・厨子・仏具等一切を皇家菩提寺たる泉涌寺ヘ移してしまって、天皇を時代錯誤もはなはだしい現人神としてしまった。これは天皇家への宗教的精神的クーデターでもあったのである。』
(廃仏毀釈百年/佐伯恵達/鉱脈社P341から引用)
当時天皇家全体を事実上改宗せしめるほどの権力権威が薩長にあったとは考えにくい。その権力・権威こそが明治維新の真の主人公であったに相違ない。