◎地獄なこの世
カルマ理論には前提があって、自分には、過去世も来世もあるということだ。それを地球全体の人口爆発に合わせると過去に地球全体で70億の人間がいたことはないので、古代中世においては、せいぜい世界全体で2億人などという時代では、差し引き68億人の魂のストックが霊界にリザーブされていたという説明が代表的である。
自分には過去世も来世もあるという前提には、反論がある。「来世は自分は馬に生まれ変わる」と断言した禅の高僧もいるし、横死の仕方では来世の生まれ変わりはなく、砕霊になると笹目秀和は言う。そういうのをも過去世・来世と見れば過去世・来世はある。
しかし人間に非ざる過去世・来世に現代人が価値を見いだせるとはとても思えない。現代人は無神論で愛が薄いから。
さて巷間の前世記憶本では、なぜか悪行を積んでも過去世では常に人間として輪廻するという話に決まってなっており、昆虫や猿や馬に転生したなどというシナリオは、なぜか出て来ない。因果応報ならば、きちんと次の出生で結果を出すのではなかったか。
それでは一定以上の悪業を積んだら地獄に転生するという足切りラインがあるのだろうか。
ある日OSHOバグワンが、大学教授に「地獄を信じますか」と尋ねられて、
『あなたは地獄に生きている!あなたはそこに生まれ、それを呼吸し、そこで息をひきとります。そこからでるために精一杯の努力をしなければね』(ダンマパダ2/OSHO/メルクマールP256から引用)
と答えた。過去世の悪業の結果、この地獄に生まれ落ちたのだ。地獄は大学教授の心の中にあり、我々の心の中にある。
悟っていない者に悟りのことがわからないように、地獄を抜けたことのない者に地獄ではない世界のことはわからない。地獄を脱出して初めてそこが地獄だったとわかる。
そこでOSHOバグワンは天国も地獄も「いまここ」にあると断言する。出口王仁三郎なら綾部が世界の中心になるという表現である。
OSHOバグワンによれば、すべてがいまここにあるのならば、(それは時間のない世界での表現だが)、悪行を犯している瞬間に、直ちに自分の肉体に毒を送り込んでいること(怒りが体内に毒素を発生させる)で同時並行で罰を受けていると見る。
実はこれが真相だろう。
カルマの法則は逃れることなどできない。不昧因果。そこでカルマ・ヨーガ、功過格などカルマの法則を見据えた行法がある。
覚者は、諸悪莫作で悪行を犯すことはない。でもそこを一歩抜けることが必要である。それがカルマ理論の穴であると思う。
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悟りとは何か
カルマ理論には前提があって、自分には、過去世も来世もあるということだ。それを地球全体の人口爆発に合わせると過去に地球全体で70億の人間がいたことはないので、古代中世においては、せいぜい世界全体で2億人などという時代では、差し引き68億人の魂のストックが霊界にリザーブされていたという説明が代表的である。
自分には過去世も来世もあるという前提には、反論がある。「来世は自分は馬に生まれ変わる」と断言した禅の高僧もいるし、横死の仕方では来世の生まれ変わりはなく、砕霊になると笹目秀和は言う。そういうのをも過去世・来世と見れば過去世・来世はある。
しかし人間に非ざる過去世・来世に現代人が価値を見いだせるとはとても思えない。現代人は無神論で愛が薄いから。
さて巷間の前世記憶本では、なぜか悪行を積んでも過去世では常に人間として輪廻するという話に決まってなっており、昆虫や猿や馬に転生したなどというシナリオは、なぜか出て来ない。因果応報ならば、きちんと次の出生で結果を出すのではなかったか。
それでは一定以上の悪業を積んだら地獄に転生するという足切りラインがあるのだろうか。
ある日OSHOバグワンが、大学教授に「地獄を信じますか」と尋ねられて、
『あなたは地獄に生きている!あなたはそこに生まれ、それを呼吸し、そこで息をひきとります。そこからでるために精一杯の努力をしなければね』(ダンマパダ2/OSHO/メルクマールP256から引用)
と答えた。過去世の悪業の結果、この地獄に生まれ落ちたのだ。地獄は大学教授の心の中にあり、我々の心の中にある。
悟っていない者に悟りのことがわからないように、地獄を抜けたことのない者に地獄ではない世界のことはわからない。地獄を脱出して初めてそこが地獄だったとわかる。
そこでOSHOバグワンは天国も地獄も「いまここ」にあると断言する。出口王仁三郎なら綾部が世界の中心になるという表現である。
OSHOバグワンによれば、すべてがいまここにあるのならば、(それは時間のない世界での表現だが)、悪行を犯している瞬間に、直ちに自分の肉体に毒を送り込んでいること(怒りが体内に毒素を発生させる)で同時並行で罰を受けていると見る。
実はこれが真相だろう。
カルマの法則は逃れることなどできない。不昧因果。そこでカルマ・ヨーガ、功過格などカルマの法則を見据えた行法がある。
覚者は、諸悪莫作で悪行を犯すことはない。でもそこを一歩抜けることが必要である。それがカルマ理論の穴であると思う。


悟りとは何か