◎OSHOのヴィパッサナー
1970年代、といっても私は中学生だったりするのだが、OSHOバグワンの本が書店の店頭に並ぶのを見るのは、とてもわくわくすることだった。今まさに世界が躍動しているのを、その本から感じとることができたのだ。
彼の聖なるコミューンは、結局世界中の官憲から追われることになり、アメリカではバグワンみずから毒を飲まされ、それが死の遠因になっていくのだが、1970年代は、本当に何か将来に素晴らしいことが待っているかのような息吹を感じ取れる時代だった。
バグワンのヴィパッサナーについての断片的言及は多いが、そのやり方についてそれなりにまとまって書いたものは少ない。これなどはその一つだろう。ヴィパッサナーは南伝仏教の専売特許ではなく、釈迦がこれで悟ったという重要な冥想手法である。
ただこの「呼吸をみつめる」というテクは、これで行こうとする場合は、生活全体、行動全体のトータルなコントロールが必要となる。つまりヴィパッサナー専心者向けの冥想体系がある。それとて専心する以上は危険が伴うので、正師の指導が必須であることは言うまでもない。このOSHOバグワンの甘い語り口は、危険なジャングルの入り口でもあることを忘れてはならない。簡単簡単とも云ったり見せかけたりするが、悟りは簡単ではないのだ。
『呼吸をすっかりくつろがせなさい
いつでも暇をみつけたときに、ほんの数分間だけ呼吸器をくつろがせなさい
その他のことはいい、全身をくつろがせる必要はない
あなたが汽車や飛行機や車にすわっているとしても
誰もあなたが何かをしていることに気づきはしない
呼吸器をただくつろがせなさい
それが自然に機能しているときのようにあらせなさい
それから目を閉じ
呼吸が入ってきて、出て行き、入ってくるのを見守りなさい
集中してはいけない
もし集中したら、あなたは苦労の種をつくり出す
というのも、そうしたらあらゆることが妨げになるからだ
車にすわっているときに集中しようとしたら、そのときには、車の騒音が妨げになる、
あなたの傍らにすわっている人が妨げになる
瞑想は集中ではない
それは、ただ覚めていることだ
あなたはただくつろいで、その呼吸を見守っている
その見守ることのなかでは何ものも排除されてはいない
車はプンプン音をたてている
まったくかまいはしない、それを受け容れるがいい
往来が通り過ぎてゆく
それもよし、生活の一部だ
あなたの隣りに乗り合わせた人がいびきをかいている
それも受け容れるがいい
何びとつ拒絶されるものはない』
(ザ・オレンジブック/OSHO/メルクマール社P88から引用)
1970年代、といっても私は中学生だったりするのだが、OSHOバグワンの本が書店の店頭に並ぶのを見るのは、とてもわくわくすることだった。今まさに世界が躍動しているのを、その本から感じとることができたのだ。
彼の聖なるコミューンは、結局世界中の官憲から追われることになり、アメリカではバグワンみずから毒を飲まされ、それが死の遠因になっていくのだが、1970年代は、本当に何か将来に素晴らしいことが待っているかのような息吹を感じ取れる時代だった。
バグワンのヴィパッサナーについての断片的言及は多いが、そのやり方についてそれなりにまとまって書いたものは少ない。これなどはその一つだろう。ヴィパッサナーは南伝仏教の専売特許ではなく、釈迦がこれで悟ったという重要な冥想手法である。
ただこの「呼吸をみつめる」というテクは、これで行こうとする場合は、生活全体、行動全体のトータルなコントロールが必要となる。つまりヴィパッサナー専心者向けの冥想体系がある。それとて専心する以上は危険が伴うので、正師の指導が必須であることは言うまでもない。このOSHOバグワンの甘い語り口は、危険なジャングルの入り口でもあることを忘れてはならない。簡単簡単とも云ったり見せかけたりするが、悟りは簡単ではないのだ。
『呼吸をすっかりくつろがせなさい
いつでも暇をみつけたときに、ほんの数分間だけ呼吸器をくつろがせなさい
その他のことはいい、全身をくつろがせる必要はない
あなたが汽車や飛行機や車にすわっているとしても
誰もあなたが何かをしていることに気づきはしない
呼吸器をただくつろがせなさい
それが自然に機能しているときのようにあらせなさい
それから目を閉じ
呼吸が入ってきて、出て行き、入ってくるのを見守りなさい
集中してはいけない
もし集中したら、あなたは苦労の種をつくり出す
というのも、そうしたらあらゆることが妨げになるからだ
車にすわっているときに集中しようとしたら、そのときには、車の騒音が妨げになる、
あなたの傍らにすわっている人が妨げになる
瞑想は集中ではない
それは、ただ覚めていることだ
あなたはただくつろいで、その呼吸を見守っている
その見守ることのなかでは何ものも排除されてはいない
車はプンプン音をたてている
まったくかまいはしない、それを受け容れるがいい
往来が通り過ぎてゆく
それもよし、生活の一部だ
あなたの隣りに乗り合わせた人がいびきをかいている
それも受け容れるがいい
何びとつ拒絶されるものはない』
(ザ・オレンジブック/OSHO/メルクマール社P88から引用)