◎社会性と聖性
聖セバスチャンの殉教という絵は三島由紀夫が最初の性的体験のきっかけとなったので知られる。
聖セバスチャンは、三世紀の人物で、近衛兵の隊長だったのだが、ディオクレティアヌス帝の御代にキリスト教徒であることが露見して、杭に縛り付けられ、多くの矢で射られる。ところが運よく彼を埋葬に来た聖女イレーヌに息があることを発見され、自宅に連れて行かれ介抱してもらい蘇生する。このシーンが絵画のシーン。
この時聾唖で盲目の少女を彼女の頭上で十字を切って視力を回復するという奇蹟を行った。
やがて再び発見された聖セバスチャンは結局殴り殺される。
こういったものを見る場合、あくまで彼をキリスト教殉教者という目で見がちなのだが、本人の立場に立って言えば、彼は、殉教者になりたくてなったのではないだろう。一市民として一近衛隊のメンバーとして生きていた。要するに社会性をきちんと保持しながら正当な信仰にも生きていたのである。これをバランスがとれているという。
当時キリスト教は禁教だから、露見するやいなや社会性は放棄せざるを得ないところに追い込まれる。
頑固な西洋人にショックを与え布教するには、このように社会性を放棄するという衝撃的な殉教エピソードを濫発しなければ、効果的に発心に向かう情動を掻き起こせなかったのだろう。
社会性の喪失は、悟りの前段では、一つのテーマになるにしても、悟後の人生を考えると禁教に生きるというチュエーションは厳しい。
聖セバスチャンの殉教という絵は三島由紀夫が最初の性的体験のきっかけとなったので知られる。
聖セバスチャンは、三世紀の人物で、近衛兵の隊長だったのだが、ディオクレティアヌス帝の御代にキリスト教徒であることが露見して、杭に縛り付けられ、多くの矢で射られる。ところが運よく彼を埋葬に来た聖女イレーヌに息があることを発見され、自宅に連れて行かれ介抱してもらい蘇生する。このシーンが絵画のシーン。
この時聾唖で盲目の少女を彼女の頭上で十字を切って視力を回復するという奇蹟を行った。
やがて再び発見された聖セバスチャンは結局殴り殺される。
こういったものを見る場合、あくまで彼をキリスト教殉教者という目で見がちなのだが、本人の立場に立って言えば、彼は、殉教者になりたくてなったのではないだろう。一市民として一近衛隊のメンバーとして生きていた。要するに社会性をきちんと保持しながら正当な信仰にも生きていたのである。これをバランスがとれているという。
当時キリスト教は禁教だから、露見するやいなや社会性は放棄せざるを得ないところに追い込まれる。
頑固な西洋人にショックを与え布教するには、このように社会性を放棄するという衝撃的な殉教エピソードを濫発しなければ、効果的に発心に向かう情動を掻き起こせなかったのだろう。
社会性の喪失は、悟りの前段では、一つのテーマになるにしても、悟後の人生を考えると禁教に生きるというチュエーションは厳しい。