◎明治維新の勘所
明治天皇のご生母は、中山慶子。その何人かいる兄の一人が中山忠光である。中山忠光卿が長州で暗殺された時期は、椋梨藤太率いる藩内恭順派が実権を握っていた時期で、藩内尊攘派の手引きによって長府藩に匿われていた中山忠光卿にとっては、動きのとりにくい時期であったらしい。
丁度NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」では、椋梨藤太が失脚したが、中山忠光卿の名は一切出てこなかった。
防長回天史にも、奇兵隊士のほとんどがお世話になった豪商白石正一郎の白石正一郎日記にも中山忠光卿暗殺の件は出てこない。この件は長州のタブーらしい。
中山忠光卿の父君中山忠能は、もともと長州藩寄りの動きをしていた人物。子供を長州に暗殺されたとなれば、裏切られた感があっただろう。
中山忠光卿の身の回りの世話をしていた女性は、暗殺後に遺児を生み、後に中山家に引き取られ、長じて嵯峨公勝に嫁いだ。この長男が実勝で、その娘が嵯峨浩で、満州皇帝愛新覚羅溥儀と結婚した。
中山忠光卿は、長州の山の中の渓谷(下関市豊北町)で、複数の刺客により遭難したとされるが、その地には本宮中山神社が建立されている。
長州も尊王攘夷、天誅組も尊王攘夷。言葉面は同じでも、別の尊王攘夷をやっていた可能性がある。天誅組メンバーは、諸国の脱藩浪士だったが、薩長など雄藩の出身者がなかった。
天誅組も草莽崛起だったわけだ。卿は、別の尊王攘夷を見ていたのかもしれない。
明治天皇のご生母は、中山慶子。その何人かいる兄の一人が中山忠光である。中山忠光卿が長州で暗殺された時期は、椋梨藤太率いる藩内恭順派が実権を握っていた時期で、藩内尊攘派の手引きによって長府藩に匿われていた中山忠光卿にとっては、動きのとりにくい時期であったらしい。
丁度NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」では、椋梨藤太が失脚したが、中山忠光卿の名は一切出てこなかった。
防長回天史にも、奇兵隊士のほとんどがお世話になった豪商白石正一郎の白石正一郎日記にも中山忠光卿暗殺の件は出てこない。この件は長州のタブーらしい。
中山忠光卿の父君中山忠能は、もともと長州藩寄りの動きをしていた人物。子供を長州に暗殺されたとなれば、裏切られた感があっただろう。
中山忠光卿の身の回りの世話をしていた女性は、暗殺後に遺児を生み、後に中山家に引き取られ、長じて嵯峨公勝に嫁いだ。この長男が実勝で、その娘が嵯峨浩で、満州皇帝愛新覚羅溥儀と結婚した。
中山忠光卿は、長州の山の中の渓谷(下関市豊北町)で、複数の刺客により遭難したとされるが、その地には本宮中山神社が建立されている。
長州も尊王攘夷、天誅組も尊王攘夷。言葉面は同じでも、別の尊王攘夷をやっていた可能性がある。天誅組メンバーは、諸国の脱藩浪士だったが、薩長など雄藩の出身者がなかった。
天誅組も草莽崛起だったわけだ。卿は、別の尊王攘夷を見ていたのかもしれない。