◎六祖慧能
禅の六祖慧能は、広東の新州の人である。幼少時に父を喪い、老母に養育されて成長した。長じては木こりを生業にして暮らしていた。
あるとき町中の街頭で経文を耳にしたときに、たちまち老母を捨てて、出家生活に入った。
二祖慧可が臂を切り落とすのがたとえ簡単だとしても、これまでに養い育ててくれた老母の恩を捨てるのは、大変難しいことだ。この恩知らずぶりは軽軽なことではない。
師匠である弘忍のもとに投じて、米つき係として昼夜懈怠なく努め修行して8か月。ある夜中に弘忍から正法を継承して、暗殺を避けるために南方へ逃亡。
六祖慧能は、悟りを得た後も、いつでもどこへ行くにも石臼を背負い続けたという。この石臼の重みこそ母を棄てた忘恩の重み。
釈迦の出家もそうだが、母との別れは二種あって、自分で母を棄てるのと母との死別がある。特に自分で母を棄てるシチュエーションは、たとえ一人悟れば九族昇天すなどと功利的なことを言われても、納得できるものではない。その出家の動機が功利的なものではないからである。
禅の六祖慧能は、広東の新州の人である。幼少時に父を喪い、老母に養育されて成長した。長じては木こりを生業にして暮らしていた。
あるとき町中の街頭で経文を耳にしたときに、たちまち老母を捨てて、出家生活に入った。
二祖慧可が臂を切り落とすのがたとえ簡単だとしても、これまでに養い育ててくれた老母の恩を捨てるのは、大変難しいことだ。この恩知らずぶりは軽軽なことではない。
師匠である弘忍のもとに投じて、米つき係として昼夜懈怠なく努め修行して8か月。ある夜中に弘忍から正法を継承して、暗殺を避けるために南方へ逃亡。
六祖慧能は、悟りを得た後も、いつでもどこへ行くにも石臼を背負い続けたという。この石臼の重みこそ母を棄てた忘恩の重み。
釈迦の出家もそうだが、母との別れは二種あって、自分で母を棄てるのと母との死別がある。特に自分で母を棄てるシチュエーションは、たとえ一人悟れば九族昇天すなどと功利的なことを言われても、納得できるものではない。その出家の動機が功利的なものではないからである。