議員会館でオームを念じたら問題にされる
◎オーム、オーム 『「“信者”とマントラ」 維新4回生議員が議員会館を不適切使用の疑い』(文春オンライン11/2(火) 16:12配信)によれば、比例東海ブロックで当選した日本維新の会の杉本和巳氏(61)が、議員会館を不適切に使用していた疑いがあると叩かれている。 議員会館で、政治とは関係のない数名の“信者”が会館の部屋に集まり、『オ~ム~、オ~ム~』とひたすら唱え続けるのが、不適切なのだそうだ。...
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◎感情の浄化 OSHOバグワンは、感情を4区分する。 感情が純粋になれる4つの局面とは、友愛、慈悲、快活さ、感謝。それぞれの反対語である不純な局面とは、憎しみ・敵意、冷酷さ・暴力・不親切、惨めさ・苦悩・不安、恩知らず。 不純な局面は常に外側、外面に焦点を向けているのに対し、純粋な局面は自分の内側から流れ出る。 また純粋な感情は実存の一つの境地、逆に不純な感情は歪み。...
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◎感情の浄化-3 快活さ 感情が純粋になれる4つの局面の3番目は、快活さ。 これは、喜び、幸福、歓喜、至福の感覚、そして苦悩の不在だ。これは、普通の人の考える快活さではなく、肉体死を既に問題にしない人の快活さである。 毒杯をあおったソクラテスの言葉、『そして彼は言った。「わたしは幸せだ。死は、たったふたつのことしかできない— 完全にわたしを破壊するか、しないかだ—...
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◎感情の浄化-4 感謝 感情が純粋になれる4つの局面の4番目は、感謝。 感謝とは神性である。OSHOバグワンは、「誕生に際して、あなたは意識的なはたらきかけをしたわけではない。誕生は自分自身の決定ではなかった。」と前置きをする。 そして、我が肉体を感謝できない人は他人の肉体に感謝できはしない。人は、まず自分を作った空と大地に感謝しなさい。これを神聖なる感謝とよぶ。...
View Article血染めの教行信証
◎文字も言葉も変わってしまうが 親鸞の教行信証を読めば、南無阿弥陀仏と唱えれば、浄土に往生でき、仏にもなれると書いている。ただし、無間地獄に落ちるような大罪を犯した者と正法を誹謗する者、聖人を批判する者は除く、などと書いてある。...
View Article人類絶滅と窮極の間合
◎国と国との間合が近い 40年以前の学生の頃ですら、大陸間弾道弾が敵国から日本に炸裂するまで10分程度と考えていた。今やマッハ5の極超音速兵器が反日思想の隣国などから発射されれば、時速6225キロで距離1000キロを飛ぶとして、日本着弾は、これまた10分程度。...
View Article窮極という名の第二の世界観
◎二つの世界観 宗教教育は重要だが、日本戦後教育のように窮極にほとんどアプローチしないものであると、青少年が漂流することになった。 そこに様々なカルトが付け入ることになり、実際に人生を棒に振ることになった青少年が無数に発生したし、今も増え続けているのだろう。...
View Article神人合一の実感を語る-1
◎ダンテス・ダイジ-今でない今、ここでないここで 神人合一した人物がその境地を語ることは、時に沈黙だったり、片言隻句だったり、短歌だったりするのだが、ダンテス・ダイジは、韻文で残してくれている。 『今でない今、ここでないここで 一刹那 の 生 涯 で も よ い クリシュナと し て 生き クリシュナ と し て 死に た い あらゆる演戯を越えた―つの戯れ 根本無明の演戯がなければ...
View Article神人合一の実感を語る-2
◎夢の宇宙はあのようにも戯れる ダンテス・ダイジ-『今でない今、ここでないここで』の続き。 『無限の中には 時間も空間も因果律も存在していない 無限の中に 宇宙の果ては 私の小指の長さにあり 千億光年の天体生命の光茫が 私の肉体の心臓の一鼓動とともに 生まれ来たり滅び去る 熟したリンゴの樹の果実が 地面から枝へと昇る 神の絶対無の中に 夢見続ける宇宙 夢の宇宙はこのように戯れ...
View Articleアフターコロナで内に閉じこもる
◎自分に出会う恐怖と狂気 日中は、そこはかとなく暖かいからよいが、宵から早朝にかけては冬の気候である。先日さる地方都市に2年ぶり位で訪問したのだが、目抜き通りに空き家がいや増して、街の寂れぶりには、怖気を奮うほどであった。...
View Articleディヤン・スートラの七つの段階-8
◎自分の身体は“空” ディヤン・スートラの七つの段階の前半三段階の浄化で土台が整い、後半は神性と合体する。後半三段階を“空”とし、“空”にも三段あり身体、思考(マインド)、感情の段階があるとする。『自分は身体だ』と感じることが消えると身体は“空”となる。『自分は身体だ』と感じることを落とすと身体は“空”となる。...
View Articleディヤン・スートラの七つの段階-9
◎思考からの自由 思考からの自由は、自分の思考の正しい観察を通して起こる。思考の流れを傍観する。思考が流れて行くのを見守る。 やがて思考と自分は別であることに気づく。自分は思考でなく観照者であることに気づく。 トータルな気づきを以って内側を見つめると思考が止まる。その時行為者と観察者が別だとわかる。だが、そこで考えてはいけない。この観察者を見る人とも呼ぶ。 OSHOバグワンの説明では、...
View Articleディヤン・スートラの七つの段階-10
◎感情からの自由とサマーディ 思考の観察から一歩進んで感情の観察もできる。最後には純粋な観察者を目指す。この「見ていること」を意識と呼び、英知と呼ぶ。 OSHOバグワンは、ここで予想どおりあるいはいつものパターンで、感情の観察については詳述していない。せいぜい思考の観察と同様に感情を見守るのだくらいの説明である。...
View Articleイエスが死んだ犬の歯の白さを讃える
◎聖者は決して罪人に出会わない ガリラヤのある村で、一匹の死んだ犬のまわりに大勢の人が集まっていた。耳はぼろぼろで、人々は、「これは闘犬だっただろう。」と言い、「首に縄の切れ端が残っているから、元は飼い犬が逃げて来たのだろう。」と言い、また別の人は「なんて汚ない犬なんだ。」と言った。 その時、群衆の中から穏やかながら叱る声がした。「真珠ですら、この犬の歯の白さに及ばない!」。...
View Article神人合一の実感を語る-3
◎快楽は苦痛の種となり、老衰と病のない健康もない ダンテス・ダイジ-『今でない今、ここでないここで』の続き。 『ソロモン王の英知が ソロモンの栄華と幸福を実現し そして又ソロモンの英知が その英知ゆえに 愚迷のうちに滅亡したように 死のないどのような生もあり得ない 愚かさを持たぬどのような智慧もなく 安心のある所に不安があり 愛のある所に憎悪が 勇気のある所に恐怖が 幸福のある所に不幸があり...
View Article神人合一の実感を語る-4
◎一刹那を神の御意のままに生き死ぬ、神人合一 ダンテス・ダイジ-『今でない今、ここでないここで』の続き。 『一刹那の生涯でよい 神の御意のままに生き 神の御意のままに死にたい 一刹那の神の御意は すべての生命達の生涯と すべての生命達のそれぞれの宇宙であった 神のみが終対無の中に 久遠の安住を続け あくび一つも神には無縁だ 私は私という心身の 異郷の客であり 何一つとして...
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◎死:もともとありもしない手と足とを未知の虚空に放ち去ろう ダンテス・ダイジ-『今でない今、ここでないここで』の続き。 『私達はこの世では狐独であり続ける 私達の眼は 私達の故郷を見知らぬものとして眺め 私達の家族を初めて見る これは私達の眼がかすんだゆえではない 私達の眼がより透明になったせいだ 何もかもが常に未知なものとしてあり 何もかもが常に新しい 何もかもが未知な新しさであれば...
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◎私は私自身の中を旅し続けている ダンテス・ダイジ-『今でない今、ここでないここで』の続き。 『精神の広大さも 物質宇宙の戯曲も 私には何のかかわりもない 私は私の冥想の旅を続ける 旅は方向をもって続けられるが その旅は私に理由のない確信を与えても 決してどこかに行き着くことはない 私は私自身の中を旅し続けている』 (絶対無の戯れ/ダンテス・ダイジP120から引用)...
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