◎老子−1
老子は、全編が同じ視点から書かれているわけではなく、超古代の作らしく、オーディンの訓言みたいに世俗的な王の施政訓の部分もかなりある。
しかしながら世界が変わるということにポイントを置けば、その中のエソテリックな香りのするものに焦点が当たることになる。
老子第六章 谷神不死
『谷神(無の別名)は死することがない。この玄妙不可思議な母性の万物を生み出す所は、天地の根という。その根によってすべてのものを生み続けているが、それでいて終わる時がなく、且つ疲れる時がない。』
谷神は、天地の根であり、世界樹の根に位置する。根は頭頂サハスラーラ・チャクラの位置である。それだけでもわかる人にはわかるが、終わりもなく、疲れることもないとして、時間のない世界、永遠の世界にそれがあることを示す。この説明によって、谷神は、霊などというものとは別次元にあることがわかる。
ここには、人間という視点はない、谷神は、死の側にあるものであり、死の側には生と死を含んでいるもの。生は死の一部であるので、谷神は死することはない。
これぞ老子の日常的世界観の依って出るところであり、我々の日常的世界観とは全く異なっている。人間の頭頂は上にあるが、天地の頭頂は下にある。つまり彼の世界の上下は逆転している。
![]()
悟りとは何か
老子は、全編が同じ視点から書かれているわけではなく、超古代の作らしく、オーディンの訓言みたいに世俗的な王の施政訓の部分もかなりある。
しかしながら世界が変わるということにポイントを置けば、その中のエソテリックな香りのするものに焦点が当たることになる。
老子第六章 谷神不死
『谷神(無の別名)は死することがない。この玄妙不可思議な母性の万物を生み出す所は、天地の根という。その根によってすべてのものを生み続けているが、それでいて終わる時がなく、且つ疲れる時がない。』
谷神は、天地の根であり、世界樹の根に位置する。根は頭頂サハスラーラ・チャクラの位置である。それだけでもわかる人にはわかるが、終わりもなく、疲れることもないとして、時間のない世界、永遠の世界にそれがあることを示す。この説明によって、谷神は、霊などというものとは別次元にあることがわかる。
ここには、人間という視点はない、谷神は、死の側にあるものであり、死の側には生と死を含んでいるもの。生は死の一部であるので、谷神は死することはない。
これぞ老子の日常的世界観の依って出るところであり、我々の日常的世界観とは全く異なっている。人間の頭頂は上にあるが、天地の頭頂は下にある。つまり彼の世界の上下は逆転している。


悟りとは何か