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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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芭蕉の師仏頂和尚のこと

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◎仏頂の純粋な道心をしのぶ

一休の狂雲集も相当な禅的学識のほとばしる作品であるが、芭蕉の俳文集も相当に禅的素養がないときちんと読み込めないように思う。片言切句に、禅の故事などが散りばめられているからである。そういうところは大学受験にはまず出ないだろうが。

芭蕉の師仏頂和尚は、常陸郡鹿島郡札村の人。32歳で鹿島根本時住職となり、鹿島神宮との所領争いの調停のため、江戸深川の臨川庵にしばしば滞在。この頃、松尾芭蕉と師弟の関係となったようだ。

おくのほそみちで下野の国黒羽に芭蕉が仏頂和尚が、庵を結んで修行した旧居を訪問する件りがある。仏頂和尚が、その狭い庵住まいの時に
「竪横(たてよこ)の五尺に足らぬ草の庵
むすぶもくやし雨なかりせば」という歌を炭で近くの岩に書きつけたと聞き、この旧居跡をを訪ねてみたのである。庵は、谷沿いの道をはるかに進んだ雲巌寺の奥にあり、岩屋を背にして、石の上に小さい庵が作ってあるのを、後ろの山の上から見つけた。

これを見て、南宋の原妙禅師は、杭州天目山の張公洞に入り「死関」の扁額を掲げて15年間出なかったことなどを思い起こした。

木啄(きつつき)も庵はやぶらず 夏木立

夏木立のしんと静まりかえったなかにきつつきの音だけが響いている。庵の姿が往時と変わらないことに芭蕉の時間を超えた静謐さを感じさせる。






悟りとは何か

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