◎危機に晒されるデリカシー
ジャパニーズ・スナイパーといえば、いつも単独行動のゴルゴ13。映画アメリカン・スナイパー(2014年)は、グループ組織での米軍スナイパーとして100人以上の敵を狙撃したスナイパーのレジェンドの話。モデルは実在したクリス・カイルという人物で、160人以上の射殺実績があるという。
舞台は2003年以降のイラク戦争であり、砂塵渦巻くイラクに4回も派遣されて、十分な数の射殺をこなして無事帰還した。彼には相手と殺し合う戦場の緊張感と平和な家庭での日常を共存できるかというテーマがあったが、イラクに派遣される都度そのギャップは埋めがたいものになっていく。
都合彼は4回派遣され、帰国後精神を病んだ状態になるが、精神科医のすすめで、イラク戦争のレジェンドとして、彼と同じ様にPTSDを病んで社会復帰できていない帰還兵のところを訪問し話をしたり聞いてやる仕事を始めたが、ある時、そうした帰還兵に射殺されてしまう。
クリス・カイルは、最初のシーンで対戦車爆弾を持って戦車に向かって走り出した母を射殺し、次にその爆弾を持って同様に戦車に向かって進みだした6、7才くらいの男児をも射殺して、ややショックを受け、そのことが自分の将来に降りかからないかとでも考えているような動揺が見える。
戦争で交戦規定に照らして妥当であれば女子供でも射殺して良いらしいが、人間本来そうでない部分もある。もともと人は他人を傷つけたり殺したりすることはできないようにできているのではないか。交戦規定に則っていれば、160人なら多過ぎで1人なら少な過ぎなどということはないのではないか。
時代は、こうした白兵戦に耐えられない人間たちの暮らす時代に進んできた。
人は他人に傷つけられることには耐えられないが、本来人は他人を傷つけることにも耐えられないようにできているのではないか。
様々な宗教の戒律で殺生を禁じる戒律はごく一般的なものである。そうした戒律は、他人を殺すのが当たり前な人物、つまり荒くれたちが闊歩する時代は、外在的規制として必要だったに違いない。今は人間そのものが、他人を傷つけることにストレスを感じる時代。それほどまでにデリカシーが上がってきた。
そうは言っても、世の中には他人を平気で傷つけたり、他人から平気で奪ったり、無辜の人間達を大量に殺戮する兵器を開発したり、実際に使用したりする人たちもいることもまた現実なのである。
悟りの直観に必要なデリカシーも危機に晒されている。それも問題だが、現人類が自ら引き寄せた状況であることもまた現実だ。
ジャパニーズ・スナイパーといえば、いつも単独行動のゴルゴ13。映画アメリカン・スナイパー(2014年)は、グループ組織での米軍スナイパーとして100人以上の敵を狙撃したスナイパーのレジェンドの話。モデルは実在したクリス・カイルという人物で、160人以上の射殺実績があるという。
舞台は2003年以降のイラク戦争であり、砂塵渦巻くイラクに4回も派遣されて、十分な数の射殺をこなして無事帰還した。彼には相手と殺し合う戦場の緊張感と平和な家庭での日常を共存できるかというテーマがあったが、イラクに派遣される都度そのギャップは埋めがたいものになっていく。
都合彼は4回派遣され、帰国後精神を病んだ状態になるが、精神科医のすすめで、イラク戦争のレジェンドとして、彼と同じ様にPTSDを病んで社会復帰できていない帰還兵のところを訪問し話をしたり聞いてやる仕事を始めたが、ある時、そうした帰還兵に射殺されてしまう。
クリス・カイルは、最初のシーンで対戦車爆弾を持って戦車に向かって走り出した母を射殺し、次にその爆弾を持って同様に戦車に向かって進みだした6、7才くらいの男児をも射殺して、ややショックを受け、そのことが自分の将来に降りかからないかとでも考えているような動揺が見える。
戦争で交戦規定に照らして妥当であれば女子供でも射殺して良いらしいが、人間本来そうでない部分もある。もともと人は他人を傷つけたり殺したりすることはできないようにできているのではないか。交戦規定に則っていれば、160人なら多過ぎで1人なら少な過ぎなどということはないのではないか。
時代は、こうした白兵戦に耐えられない人間たちの暮らす時代に進んできた。
人は他人に傷つけられることには耐えられないが、本来人は他人を傷つけることにも耐えられないようにできているのではないか。
様々な宗教の戒律で殺生を禁じる戒律はごく一般的なものである。そうした戒律は、他人を殺すのが当たり前な人物、つまり荒くれたちが闊歩する時代は、外在的規制として必要だったに違いない。今は人間そのものが、他人を傷つけることにストレスを感じる時代。それほどまでにデリカシーが上がってきた。
そうは言っても、世の中には他人を平気で傷つけたり、他人から平気で奪ったり、無辜の人間達を大量に殺戮する兵器を開発したり、実際に使用したりする人たちもいることもまた現実なのである。
悟りの直観に必要なデリカシーも危機に晒されている。それも問題だが、現人類が自ら引き寄せた状況であることもまた現実だ。