◎霊的婚姻
出口王仁三郎は、天国にあっては、夫婦は二人でなく、一体であり一人として数えるという。霊界物語第47巻では、天国の様子を詳述するのだが、地上天国になろうとする時代にそれを心得ておくことも意味があることだろう。
ただし、人間が生涯の魂の伴侶に出会うチャンスは一生に一回あるかないかであり、出会ったとしてもそれに気づかなかったり、そのチャンスをものにできなかったりということの方が多いのかもしれない。
天国で夫婦は同心同体とは、両性具有=イズノメの具現であって、世間感覚とは異なるが、重要なファクターではある。
『『夫婦は愛と信との和合に依つて成立するものです。
所謂夫の智性は妻の意思中に入り、妻の意思は夫の智性中に深く入り込み、茲に始めて天国の結婚が行はれるのです。言はば夫婦同心同体ですから、面貌の相似するは相応の道理に仍つて避くべからざる情態です。
現界人の結婚は、地位だとか名望だとか、世間の面目だとか、財産の多寡によつて婚姻を結ぶのですから、云はば虚偽の婚姻です。
天国の婚姻は凡て霊的婚姻ですから、夫婦は密着不離の情態にあるのです。故に天国に於ては夫婦は二人とせず一人として数へることになつてゐます。現界の様に、人口名簿に男子何名女子何名などの面倒はありませぬ。只一人二人と云へば、それで一夫婦二夫婦といふことが分るのです。それで天国に於て百人といへば頭が二百あります。
これが現界と相違の点ですよ。君民一致、夫婦一体、上下和合の真相は到底天国でなくては実見することは出来ますまい。』
(霊界物語第47巻第18章から引用)
出口王仁三郎は、天国にあっては、夫婦は二人でなく、一体であり一人として数えるという。霊界物語第47巻では、天国の様子を詳述するのだが、地上天国になろうとする時代にそれを心得ておくことも意味があることだろう。
ただし、人間が生涯の魂の伴侶に出会うチャンスは一生に一回あるかないかであり、出会ったとしてもそれに気づかなかったり、そのチャンスをものにできなかったりということの方が多いのかもしれない。
天国で夫婦は同心同体とは、両性具有=イズノメの具現であって、世間感覚とは異なるが、重要なファクターではある。
『『夫婦は愛と信との和合に依つて成立するものです。
所謂夫の智性は妻の意思中に入り、妻の意思は夫の智性中に深く入り込み、茲に始めて天国の結婚が行はれるのです。言はば夫婦同心同体ですから、面貌の相似するは相応の道理に仍つて避くべからざる情態です。
現界人の結婚は、地位だとか名望だとか、世間の面目だとか、財産の多寡によつて婚姻を結ぶのですから、云はば虚偽の婚姻です。
天国の婚姻は凡て霊的婚姻ですから、夫婦は密着不離の情態にあるのです。故に天国に於ては夫婦は二人とせず一人として数へることになつてゐます。現界の様に、人口名簿に男子何名女子何名などの面倒はありませぬ。只一人二人と云へば、それで一夫婦二夫婦といふことが分るのです。それで天国に於て百人といへば頭が二百あります。
これが現界と相違の点ですよ。君民一致、夫婦一体、上下和合の真相は到底天国でなくては実見することは出来ますまい。』
(霊界物語第47巻第18章から引用)