Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

トマス・アクィナスの記憶と祈り

$
0
0
◎推敲なしの口述筆記と冥想

13世紀のトマス・アクィナスと言えば、博覧強記で知られる人物。彼は、ハードディスクもSSDもない時代に、膨大な聖書の四福音書のテキストデータを頭の中に保有していたらしい。

記憶データの入力については、トマス・アクィナスは若い頃、各地の修道院を遍歴したのだが、そこで読んだ聖書のテキストデータを記憶に保持していたらしい。

記憶には、記憶データの保存と保存位置のマーキング、そして想起という手番がある。

彼は、一度に3、4人の弟子の僧に対し、それぞれ別々のテーマの著作を同時進行で口述筆記させた。

彼は、論点を検討したり、整理したり、あるいは講義したり口述筆記したり、著作する前に、題材を理解し適切な言葉で表現できるようにと、必ず心の中でそっと祈りを捧げた。

記憶が彼の中にある宝物を繰り出すのに任せているように想起は起こり続けた。

これが証拠に、彼の後半生の著作について自筆原稿が残っていない。後半生は、口述筆記オンリーだったようなのだ。

記憶データを入力した順に想起するのは、無文字社会で、大部の叙事詩が残されている社会では、詩人といして出現する。それは例えばアイヌの叙事詩ユーカラであって、無文字社会には時々あること。だが、内容を組み替えて出すのはまた別の想起技であって、一段高度になるのだろう。

トマス・アクィナスは、悪筆だったそうだが、出口王仁三郎は達筆だった。推敲しない口述筆記は、出口王仁三郎もやった。口述筆記とは想起技だが、出口王仁三郎は口述筆記した霊界物語の内容を以前のどこかで記憶データとして保持していたわけではない。

この辺にも祈りあるいは冥想が、大きく著作の内容を創造することに関与していたことがわかる。これも冥想の効用。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>