◎ブッダのことば(スッタニパータ)
漢訳経典にはないが、最古の仏典とされるのがスッタニパータ。格調が高く一読して釈迦のオリジナル・テキストだとわかる。
『359 「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し、安全な安らぎを得て、こころ安住した聖者におたずね致します。家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、正しく世の中を遍歴するには、どのようにしたらよいのでしょうか。」
360 師はいわれた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。
361 修行者が、迷いの生活を超越し、理法をさとって、人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲を慎しむならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
362 修行者がかげぐちをやめ、怒りと物惜しみとを捨てて、順逆の念を離れるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
363 好ましいものも、好ましくないものも、ともに捨てて、何ものにも執著せず、こだわらず、諸々の束縛から離脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
364 かれが、生存を構成する要素のうちに堅固に実体を見出さず、諸々の執著されるものに対する貪欲を慎しみ、こだわることなく、他人に誘(ひ)かれないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
365 ことばによっても、こころによっても、行為によっても、逆らうことなく、正しく理法を知って、ニルヴァーナの境地をもとめるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
366 修行者が、『かれはわれを拝む』と思って高ぶることなく、罵られても心にふくむことなく、他人から食物を与えられたからとて驕ることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。』
(ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)p75-77から引用)
このあたりは、ダイレクトに真理そのものに切り込むという内容ではなく、遍歴出家者の日々の心得みたいな段階。気持ちの持ち方、世の中の見方などが何気なく説かれている。
だが、実はこの辺が覚者が厳守している行住坐臥における精密なルールだったりするので、簡単に見過ごすわけにはいかない。
漢訳経典にはないが、最古の仏典とされるのがスッタニパータ。格調が高く一読して釈迦のオリジナル・テキストだとわかる。
『359 「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し、安全な安らぎを得て、こころ安住した聖者におたずね致します。家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、正しく世の中を遍歴するには、どのようにしたらよいのでしょうか。」
360 師はいわれた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。
361 修行者が、迷いの生活を超越し、理法をさとって、人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲を慎しむならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
362 修行者がかげぐちをやめ、怒りと物惜しみとを捨てて、順逆の念を離れるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
363 好ましいものも、好ましくないものも、ともに捨てて、何ものにも執著せず、こだわらず、諸々の束縛から離脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
364 かれが、生存を構成する要素のうちに堅固に実体を見出さず、諸々の執著されるものに対する貪欲を慎しみ、こだわることなく、他人に誘(ひ)かれないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
365 ことばによっても、こころによっても、行為によっても、逆らうことなく、正しく理法を知って、ニルヴァーナの境地をもとめるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。
366 修行者が、『かれはわれを拝む』と思って高ぶることなく、罵られても心にふくむことなく、他人から食物を与えられたからとて驕ることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。』
(ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)p75-77から引用)
このあたりは、ダイレクトに真理そのものに切り込むという内容ではなく、遍歴出家者の日々の心得みたいな段階。気持ちの持ち方、世の中の見方などが何気なく説かれている。
だが、実はこの辺が覚者が厳守している行住坐臥における精密なルールだったりするので、簡単に見過ごすわけにはいかない。