◎12年籠山行なるトランス
最澄の御廟である比叡山延暦寺の浄土院。浄土院を守る役目が侍真。
侍真制度は江戸時代中期に成立。侍真には、希望してなれるものではなく、12年籠山行をして仏を見ないと満行とならない。これを仏の好相をみる行、すなわち好相行とし、浄土院の仄暗い一角で五体投地により、一日に三千仏、つまり三千回の礼拝を繰り返す。
すると釈迦を見たり、観世音菩薩を見たり、阿弥陀仏をみたりするのだが、これをもって満行とする。(出所:修行と信仰/藤田庄市/岩波現代全書P12-13)
トランスに入って見るというからには、見るという自分を残している。見神、見仏は、禅の十牛図でいえば、第三図。見神、見仏でも世間でこれを成し遂げた人は稀であり、世間では十分に評価される。
ただし、見るという自分がなくなった先もある。よって12年籠山行で仏を見た京都大原三千院の門跡堀澤祖門師は、自分のことを求道者と自称する。
最澄の御廟である比叡山延暦寺の浄土院。浄土院を守る役目が侍真。
侍真制度は江戸時代中期に成立。侍真には、希望してなれるものではなく、12年籠山行をして仏を見ないと満行とならない。これを仏の好相をみる行、すなわち好相行とし、浄土院の仄暗い一角で五体投地により、一日に三千仏、つまり三千回の礼拝を繰り返す。
すると釈迦を見たり、観世音菩薩を見たり、阿弥陀仏をみたりするのだが、これをもって満行とする。(出所:修行と信仰/藤田庄市/岩波現代全書P12-13)
トランスに入って見るというからには、見るという自分を残している。見神、見仏は、禅の十牛図でいえば、第三図。見神、見仏でも世間でこれを成し遂げた人は稀であり、世間では十分に評価される。
ただし、見るという自分がなくなった先もある。よって12年籠山行で仏を見た京都大原三千院の門跡堀澤祖門師は、自分のことを求道者と自称する。