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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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禅僧と自殺

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◎禅では日常的風景

一昨日記事では、禅僧の自殺が相次いだ。

火による自殺が、慧春尼、霍山の景通禅師、入水自殺が、華亭の船子和尚。

自殺は、戦後日本では、自殺を認めないキリスト教や、人間の命は地球よりも重いと言った裁判官の影響からか、ひたすら良くないこととされ、タブー視されている。

これに対してはいくつかの視点がある。まず一般人の自殺と覚者の自殺は違うということ。同じ出家修行者でも未悟の者の自殺と既に悟った者の自殺は異なるということ。

一般人と未悟の修行者では、うつ病などの精神病にあっては、自殺する場合があるのは知られている。

一方既に悟った者の自殺は、生死自在の一つの展開にすぎない。

事実禅語録では、盗賊に斬られて大声を出して死んでいった巌頭や、毒を飲まされた達磨、立ったまま亡くなった三祖僧さんなどと自殺した禅僧たちは同列である。

社会通念で言えば、日本でもつい戦前までは、責任あるものが割腹などで自殺をすることは決して悪いこととはされていなかった。西郷南洲の敗戦での自決、乃木希典の殉死、第二次世界大戦での敗戦に際しての陸軍大臣阿南惟幾の自決。そして玉砕命令や特攻とは敵との戦闘はあるものの(集団)自殺みたいなものと考えられる。

生命が大切なことは勿論だが、このように日本はついこの間まで、死を忌避せず、生もあれば死もあるという当たり前の人生観を持つ社会だった。今は死を無視し、死に向き合わないことに頑迷であり、自殺に対してあまりにもヒステリックな反応をする社会になってしまった。

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