◎諸々の欲望を究めつくして、自己の安らぎを学べ
朝鮮半島有事前夜ということで、釈迦の争闘観を見る。
この中村元訳では、恐怖を感じたとしているが、ぞっとしていやな感じはするかもしれないが、釈迦が今さら恐怖を感じるほど我の立ち位置を失うことはあるまいと思う。
だが、釈迦は覚者らしく、自分が寄る辺ないことも述べている。世界が不定でないことも見ている。
そこで、彼は、その原因たる煩悩を解くには、欲望を捨てるのではなく、諸々の欲望を極めつくせと説く。
ものすごく迫力あるアドバイスである。
『一五、武器を執ること
九三五
殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭い離れたその衝撃を宣べよう。
九三六
水の少いところにいる魚のように、人々が慄えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。
九三七
世界はどこも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。
九三八
(生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。
またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た。
九三九
この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆けめぐることもなく、沈むこともない。
九四〇 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。―――世間における諸々の束縛の絆にほだされてはならない。諸々の欲望を究めつくして、自己の安らぎを学べ。』
(ブッダの言葉/中村元訳/岩波文庫P203から引用)
朝鮮半島有事前夜ということで、釈迦の争闘観を見る。
この中村元訳では、恐怖を感じたとしているが、ぞっとしていやな感じはするかもしれないが、釈迦が今さら恐怖を感じるほど我の立ち位置を失うことはあるまいと思う。
だが、釈迦は覚者らしく、自分が寄る辺ないことも述べている。世界が不定でないことも見ている。
そこで、彼は、その原因たる煩悩を解くには、欲望を捨てるのではなく、諸々の欲望を極めつくせと説く。
ものすごく迫力あるアドバイスである。
『一五、武器を執ること
九三五
殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである。わたくしがぞっとしてそれを厭い離れたその衝撃を宣べよう。
九三六
水の少いところにいる魚のように、人々が慄えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。
九三七
世界はどこも堅実ではない。どの方角でもすべて動揺している。わたくしは自分のよるべき住所を求めたのであるが、すでに(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった。
九三八
(生きとし生けるものは)終極においては違逆に会うのを見て、わたくしは不快になった。
またわたくしはその(生けるものどもの)心の中に見がたき煩悩の矢が潜んでいるのを見た。
九三九
この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を引き抜いたならば、(あちこちを)駆けめぐることもなく、沈むこともない。
九四〇 そこで次に実践のしかたが順次に述べられる。―――世間における諸々の束縛の絆にほだされてはならない。諸々の欲望を究めつくして、自己の安らぎを学べ。』
(ブッダの言葉/中村元訳/岩波文庫P203から引用)