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歎異抄から念仏を始める気持ち

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◎光明のうちに摂(おさ)めとられる

歎異抄のその1から念仏を始める気持ちの部分。

『あらゆるものを救わねばおかぬと御誓いなされた弥陀の本願の不思議な御はからいに助けられて、

浄土へ参らせていただけると信じて、御念仏を申そうというこころざしの起きたとき、

そのときこそ、もはや光明のうちに摂(おさ)めとって、捨てたまわぬ恵みにあずかっているのである。』
(親鸞全集 第1集 現代語訳 語録 親鸞/著 講談社P26から引用)

これは悪人は悪のままに、弥陀の本願にて既に救われているとは、時間のない世界のこと。ラーマクリシュナはすべての悪人の中にも神性を見たが、それと同様に、悪人であってもなべて仏性を有している。

すべてが救われている弥陀の本願に摂めとられるためには、この日常たる時間のある世界から、時間のない世界である弥陀の本願に入らねばならぬ。

その契機を念仏というマントラ・ヨーガが与えてくれるというもの。

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