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姜甑山の遺言

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◎仁義相生、神化一心(神人合一)

朝鮮の神人姜甑山遺言

『甑山教の創始者姜一淳(1871-1909年、号は甑山)は、自分を天子弥勒と称した。彼は、臨終の際に、「私は弥勒だから、私に会いたかったら、金山寺の弥勒仏を見ろ」と語ったことで有名である。

その遺言に従い、弟子金亨烈らは、全羅北道金堤にある金山寺の弥勒殿の前で深い祈りを捧げ、日本の警察に逮捕され服役に処せられた。

姜一淳は、迫りくる弥勤の世を次のように描いた。
世の人が天に上り、夜と昼が何の障害もなく明るく通じ、百種の穀物を末永く取り入れ、数万種類の果物が太く大きくなり、豊かな食べ物が自然に生じ、美しい服が自ら現れる」』
(鄭鑑録 朝鮮王朝を揺るがす予言の書 白承鍾/著 勉誠出版P315-316から引用)

さて、姜甑山没後、無数にいた信者は、彼の不死を信じ切っていたショックで、残った信者は十数人という有様だったが、高弟京石と金亨烈は、遺言どおり全羅北道金堤にある金山寺の弥勒殿に入り、静寂な一室で冥想を2週間続けたが何も得るところはなかった。さらに冥想を続けた京石はやがて一切の疑惑が豁然として開悟されたという。
([朝鮮総督府]調査資料. 第42輯 朝鮮の類似宗敎/朝鮮総督府)

朝鮮では、古来弥勒仏の生まれ変わりを自称する人物は数多く出ている。だが、姜甑山は、並み居る偽物たちとは一線を画している印象を受ける。

明治時代にクンダリーニ・ヨーガ系で(信者向けにはマントラを与えていたようだが)、仁義相生・神化一心という神人合一を標榜する宗教を立てたことには、無類の先進性を感じさせられる。

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