◎国会図書館の出口王仁三郎関連文献など
このブログでも、ネットでかつ無料で国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードできる文献があることを紹介している。
出口王仁三郎文献は、わりと充実しており、アマゾンでも売っていない貴重書が結構あり、大本教関連団体から戦後出版されていない内容の文書もいくつかある。
ところが霊界物語を含めてこれだけの分量があると、ダウンロードするだけでも一苦労。
そこで親切なことに、まとめておいてくれるサイトを発見。それは、霊界物語ネットのhttp://reikaimonogatari.net/dl.php。
全部で2.7ギガくらいあります。
見てみると、内務省のスタンプが押してあるものが多く、内務省の方々が大本教摘発に際して参考にされた文献群であろうとわかる。
残念なのは、庚午日記が全部そろっていないこと。霊界物語は全部国会図書館でもアップされていないこと(戦後の出版で伏字にされた部分が実はどの程度のものか興味あり)(このオニドのページにも上がっていない)。
出口王仁三郎の教義は、昭和10年頃ほぼ完成を見たと思うので、昭和10年に近い文書ほど注目して見ており、
この国会図書館の出口王仁三郎全集は昭和9年から10年のものであり、これこそ最重要と思う。就中全八巻しかないうちの第六巻を入蒙記に充てているが、この中の出口王仁三郎一行の武装解除の段は、大峠における『世界武装解除』『日本武装解除』を暗喩するものであり、入蒙記を、単に軍部の誘いに乗った出口王仁三郎が、張作霖軍の動きを読めず死にかけたが、運よく生き延びた体の冒険漫遊記であると読むのは誤りなのである。
ここに全81巻の霊界物語でも入蒙記が別巻とされている理由がある。
出口王仁三郎全集の第一巻、第二巻は、戦後の大本各派の考え方ではあまり取り上げられてこなかった部分があり、考えさせられる部分がある。それはいわゆる霊がかりを離れた部分である(神人和合など)。
さて戦後、霊界物語をあまり読まなかったらしい出口直日さんがヘゲモニーを長く握っていたせいか、戦後は霊界物語の内容の掘り下げ、分析に関する文書はほとんどない。
そのかわりに世間を騒がした宗教家として、二度の大本教事件の首魁とての取り上げは何度もされてきている。これは遺憾なことである。
出口王仁三郎における古神道再興は、ネオ古事記としての霊界物語の自動口述書記、帰神を実質的に放棄し鎮魂主体での修行法構築、さらに二度の大本教事件を誘うことと大本神諭と数々の予言による日本国の運命の軌道修正というのが、基本的な柱になっていたように見える。
さらにみろくの世に向けた布石として言霊学の基本の公開がある。今の時代は、あまりにも現界、物質世界、肉体レベルのみ偏重であって、言霊で扱うアストラル・レベルの精妙な感覚を正当に感得できる人はまれであるために、この時代に言霊学が正当に理解され実地に応用されることはないだろうが、出口王仁三郎はことさらに言霊学を置いた。
クンダリーニ・ヨーガは、血統相続ではなく霊統相続。古神道再興という流れで見れば、本田親徳→出口王仁三郎→ダンテス・ダイジという流れはあるように思う。
さらに言えば、出口王仁三郎は6度死んだが、何度目が高熊山であって、その他の5回はいつであって、それぞれどのようであったかは、何も伝えられていないのは非常に残念である。
それこそが、出口王仁三郎の『体験とは言えない体験』の核心だからである。
あまた出口王仁三郎本は出ているが、それがわからないと出口王仁三郎の真の評価はできない。
このブログでも、ネットでかつ無料で国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードできる文献があることを紹介している。
出口王仁三郎文献は、わりと充実しており、アマゾンでも売っていない貴重書が結構あり、大本教関連団体から戦後出版されていない内容の文書もいくつかある。
ところが霊界物語を含めてこれだけの分量があると、ダウンロードするだけでも一苦労。
そこで親切なことに、まとめておいてくれるサイトを発見。それは、霊界物語ネットのhttp://reikaimonogatari.net/dl.php。
全部で2.7ギガくらいあります。
見てみると、内務省のスタンプが押してあるものが多く、内務省の方々が大本教摘発に際して参考にされた文献群であろうとわかる。
残念なのは、庚午日記が全部そろっていないこと。霊界物語は全部国会図書館でもアップされていないこと(戦後の出版で伏字にされた部分が実はどの程度のものか興味あり)(このオニドのページにも上がっていない)。
出口王仁三郎の教義は、昭和10年頃ほぼ完成を見たと思うので、昭和10年に近い文書ほど注目して見ており、
この国会図書館の出口王仁三郎全集は昭和9年から10年のものであり、これこそ最重要と思う。就中全八巻しかないうちの第六巻を入蒙記に充てているが、この中の出口王仁三郎一行の武装解除の段は、大峠における『世界武装解除』『日本武装解除』を暗喩するものであり、入蒙記を、単に軍部の誘いに乗った出口王仁三郎が、張作霖軍の動きを読めず死にかけたが、運よく生き延びた体の冒険漫遊記であると読むのは誤りなのである。
ここに全81巻の霊界物語でも入蒙記が別巻とされている理由がある。
出口王仁三郎全集の第一巻、第二巻は、戦後の大本各派の考え方ではあまり取り上げられてこなかった部分があり、考えさせられる部分がある。それはいわゆる霊がかりを離れた部分である(神人和合など)。
さて戦後、霊界物語をあまり読まなかったらしい出口直日さんがヘゲモニーを長く握っていたせいか、戦後は霊界物語の内容の掘り下げ、分析に関する文書はほとんどない。
そのかわりに世間を騒がした宗教家として、二度の大本教事件の首魁とての取り上げは何度もされてきている。これは遺憾なことである。
出口王仁三郎における古神道再興は、ネオ古事記としての霊界物語の自動口述書記、帰神を実質的に放棄し鎮魂主体での修行法構築、さらに二度の大本教事件を誘うことと大本神諭と数々の予言による日本国の運命の軌道修正というのが、基本的な柱になっていたように見える。
さらにみろくの世に向けた布石として言霊学の基本の公開がある。今の時代は、あまりにも現界、物質世界、肉体レベルのみ偏重であって、言霊で扱うアストラル・レベルの精妙な感覚を正当に感得できる人はまれであるために、この時代に言霊学が正当に理解され実地に応用されることはないだろうが、出口王仁三郎はことさらに言霊学を置いた。
クンダリーニ・ヨーガは、血統相続ではなく霊統相続。古神道再興という流れで見れば、本田親徳→出口王仁三郎→ダンテス・ダイジという流れはあるように思う。
さらに言えば、出口王仁三郎は6度死んだが、何度目が高熊山であって、その他の5回はいつであって、それぞれどのようであったかは、何も伝えられていないのは非常に残念である。
それこそが、出口王仁三郎の『体験とは言えない体験』の核心だからである。
あまた出口王仁三郎本は出ているが、それがわからないと出口王仁三郎の真の評価はできない。