◎荘子外篇天地篇から
荘子外篇天地篇から。
『天下道あれば、万物と共に各々安んじてその生を得、
天下道なければ、徳を修めて隠退し、
千歳の後、現世を厭えば、
やがて天に上り、
かの白雲に乗じて上帝の在ますところに往くならば、病老死などの災患もなくして常に幸福である。』
荘子は、プラトンの言うところのイデア界で遊ぶことを至上として、この文でイメージしている。只管打坐なら絶対にそんなことは言わないし、白雲に乗って天上に往くなどというのは、密教的ありかたである。好んで白雲に乗って移動するのは出口王仁三郎も有名。
だが、人間である以上は、常に幸福であるなどということはあり得ないので、「天上に往く」などと洒落てみせる。
荘子で冥想といえば坐忘しかないが、このように世俗の会話にまぜて伝承させるしかなかったのは、中国社会で生き抜くことがいかに困難かの反証でもある。
現世を厭うとあるが、深山幽谷に隠退して、冥想修行したのは、好んで
行ったわけではあるまい。北魏や唐代などで何度か繰り返された破仏の時代には、真剣な求道者であればあるほど、山に隠れざるを得なかった。
宗教の自由を認めない現代中国も天下に道のない国。昨夜世界遺産・九寨溝でM7地震だそうだ。2008年の四川大地震(M7・9)では、テレビに道教のメッカ青城山が大きく揺れる様が見られ、ややショックだった。
四川は、道教の故地。山に隠れている人もいるかもしれないが、多くはあるまい。九寨溝の段々湖よりもそちらの方が心配だ。
荘子外篇天地篇から。
『天下道あれば、万物と共に各々安んじてその生を得、
天下道なければ、徳を修めて隠退し、
千歳の後、現世を厭えば、
やがて天に上り、
かの白雲に乗じて上帝の在ますところに往くならば、病老死などの災患もなくして常に幸福である。』
荘子は、プラトンの言うところのイデア界で遊ぶことを至上として、この文でイメージしている。只管打坐なら絶対にそんなことは言わないし、白雲に乗って天上に往くなどというのは、密教的ありかたである。好んで白雲に乗って移動するのは出口王仁三郎も有名。
だが、人間である以上は、常に幸福であるなどということはあり得ないので、「天上に往く」などと洒落てみせる。
荘子で冥想といえば坐忘しかないが、このように世俗の会話にまぜて伝承させるしかなかったのは、中国社会で生き抜くことがいかに困難かの反証でもある。
現世を厭うとあるが、深山幽谷に隠退して、冥想修行したのは、好んで
行ったわけではあるまい。北魏や唐代などで何度か繰り返された破仏の時代には、真剣な求道者であればあるほど、山に隠れざるを得なかった。
宗教の自由を認めない現代中国も天下に道のない国。昨夜世界遺産・九寨溝でM7地震だそうだ。2008年の四川大地震(M7・9)では、テレビに道教のメッカ青城山が大きく揺れる様が見られ、ややショックだった。
四川は、道教の故地。山に隠れている人もいるかもしれないが、多くはあるまい。九寨溝の段々湖よりもそちらの方が心配だ。